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王国の鳥
【ファンタジー その他小説】

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アールネの少年 2-5

「!」

 正確に、狙いすました一撃がエイを襲う。

 彼はさほどあわてなかった。ごくわずか後ろに足を引けば、皮一枚の差で避けられるのはわかっていた。
 空振りした相手が次の動作に入る前に、間合いをつめて体勢を崩してしまえばよい。そう考えるともなく体は動いていた。

 だが、足を半歩ずらすだけのつもりが、思いがけず大きな一歩となった。
 がくんと重心が下がり、バランスを崩す。

「う、わ」

 彼はパニックに陥った。
 とっさに、苦しまぎれにそらした肩が、またしても思ったよりも背後に入る。壁に突き当たって、彼は逃げ場を失った。

 このまま剣が突き刺さればどうなるか、彼は誰よりも知っている。自分の身体に刃が食い込んだことはないが、刺した側としての経験は豊富だった。

 皮膚を破り、臓腑を裂き、そして……

 魅入られるように、彼は迫る切っ先を見つめた。刃が無抵抗なエイの腹部を、貫こうとした瞬間だった。

「がっ」

 奇妙な呻き声とともに、切っ先が止まった。同時に、音もなく、いきなり男の胸元から赤く染まった刃先が突き出た。
 細い刃が、まるでゼリー状の何かを切っているかのように、抵抗なくするすると男の胴体を一直線に通っていく。

 男の目から急速に光が失せていくのがわかる。同時に視界が真っ赤に染まった。生温かい血液が、大量にエイに噴きかかったのだ。
 反射的に腕を上げて顔を庇おうとした、その一瞬だけ、彼は血しぶきの向こう側を見ることができた。

 ほぼ皮一枚を残して両断された胴体の、開けた断面の向こうに、少年の姿があった。

 アハトだ。
 逆手に構えられているのはよく光る片刃の、小振りの刀剣。 わずかな瞬間のその光景は、彼の早い目にひどくゆっくりと、細部まで明確に映った。

 だがそのときは、変わった形状の剣だとも、アハトの体格とその細身の武器では到底不可能な業が行われたことにも、彼は思い至らなかった。

 ただ違和感の正体が、突然明瞭な認識となって彼を襲った。

 身体が“動き過ぎた”。

 エイは浴びた血をぬぐうことも忘れて、自らの手のひらをじっと見つめた。
 自身の筋力や関節の可動域は彼自身が一番よく知っている。それ以上のことはできないと、彼は正確に見切って動作するのだ。そのはずが。

 自分の身体が自分のものでないようだ。
 経験のない心もとない心地にひとり愕然としていたエイに、アハトが詰め寄った。

「どういうことだ」

「え……」

 彼はいったい何に腹を立てているのか、ひどく不機嫌な様子だった。

「この男はあなたを狙っていたぞ。王子には見向きもしなかった」

 低く抑えられた、怒り混じりの声音に、エイは大いに怖気づいてしまった。自分よりだいぶ小柄で体格もできていない少年相手に、知らず足がひける。
 はじめから薄々感じてはいたが、アハトには歳に合わぬ迫力があった。威厳というと大げさだが、尊大な口調にも、それを当然と思わせる何かがある。
 むしろシェシウグル王子におとなしく従っているさまに違和感があるほどだ。

 言葉を失ったエイに助け舟を出すつもりかどうかは知れないが、シェシウグル王子が口をはさんだ。

「それがわかったのに、お前はこいつを助けたのか? 珍しいな」

「……苦労してなおしたものを壊されては気分が悪い」

 アハトは、ふいと顔をそらしながら呟いた。

「子供だな」

 シェシウグル王子は小さく笑った。笑われて、アハトはますます気に食わなげに眉間に皺を寄せた。

「なぜ彼の味方が彼を殺すんです。人望の問題じゃない。彼は自軍に貢献していた。失うのが得策のはずがない」

「人質にされるくらいなら、消えてくれた方が都合が良い場合もある。条件つきの交渉をしなくてよくなるからな」

 シェシウグル王子は、身も蓋もない言い方をした。

「人というのは伝統的に、そういう風に考えるものなんだ。理解しろ」

 伝統、というのはどうだろうか。エイは内心疑問に思ったものの、言わずにおいた。アハトはまだ釈然としないのか、返事もせずに何か考え込んでいる。
 シェシウグル王子はやれやれと肩をすくめ、エイを促して歩き出した。エイはアハトの方を気にしたが、彼は無言のままついて来ていた。


※※


 身軽な少年がたった三人のこと、砦の隠された出入り口から出た彼らは、簡単に戦場の喧騒をすり抜け森の陰に入った。

「状況を見てきます」

 周辺を確認し、完全に戦場から隠れたと判断してアハトが言った。

「ここでおとなしくしていてください」

「わかったわかった」

 シェシウグル王子は追い払うようなしぐさで手をひらひらさせた。
 アハトの背が遠ざかっていくのを数秒眺めてから、エイはぽかんと口を開けた。
 驚いたのだ。彼があまりにもあっさりと、その場を後にしたので。
 主君の王子と、縛り付けてさえいない敵の捕虜を二人きりにするのは非常識だ――とエイは思うのだが、もしかして違うのだろうかと彼は少々不安になった。
 そう考えながら当のシェシウグル王子を見ると、岩陰にもたれてのんびりとした体勢だ。警戒する気配は全くない。


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