ホワイトアウト-1
スクエアガーデンズのスタッフルームは一階にあった。外はすっかり夕闇に染まっている。
もしもこのまま停電がつづけば、夜の闇が訪れる頃には、獲物を狙って徘徊する変質者が自由に動きまわり、私たちを見つけてレイプすることだろう。
「三月さん。昼食の時間に食堂に姿がなかったので、お腹空いてますよね。こんなものしか出来ませんでしたけど」
庭朋美はそう言って、サンドイッチとホットコーヒーを私に勧めた。
「ありがとうございます。じつはかなりヤバかったんです」
「ヤバい？」と聞き返す彼女の口元が弛んで、吹き出しそうになっている。
私はサンドイッチにぱくつき、「ヤバいくらい美味しい」とわざとらしく若者ぶった。
庭朋美はとうとう笑った。私も心の底から笑えたような気がした。
彼女が出て行ったあと、私はこれから起きることを想像した。
ノブナガさんは必ず私の前にあらわれる。オリオンとの密会を果たすために。
停電してしまったのは彼にとっても予想外のトラブルだったに違いない。計算が狂ったのは明らかにわかる。
しかし夏目由美子の行方がわからない。
停電はいつ復旧するのか。携帯電話の電波はどうなのか。
そんなふうに焦りを滲ませながらも空腹は満たされ、いつの間にか私は眠っていた。
＊
どれくらいこうしていたのか、私が目を覚ましたとき、薄目を開いた視界に人影があった。
顔が向こうを向いているので、その見事なスタイルの持ち主が誰なのかわからない。
栗色の長い髪、白いダウンジャケット、柑橘系の香水。そうだ。私はやっと思い出した。
「夏目さん？」
寝起きのかすれた声で、私はその背中に声をかけた。
上着のナイロンが擦れる音がして、彼女は振り向いた。
「よく眠れたみたいね」
いつも通りの彼女の姿がそこにあった。
「夏目さんが無事で、ほんとうに良かった」
私は安堵の笑みを浮かべた。
「言い訳をするつもりじゃないんだけど、私がどうしてここにいるのかと言うとね」と私が切り出すと、彼女が私の声に被さってきた。
「じつは私、三月さんに言わなきゃいけないことがあるんだ」
今まで見せたことのない彼女の真剣な表情を見て、私は聞き役にまわった。
となれば、いつまでも寝ているわけにはいかないので、私は上体を起こそうと両腕を踏ん張った。
あれ？動かない──。
体がベッドに張りつき、もがこうとすれば両手両足を固定する何かが痛みを刻んでくる。部屋の様子も違う。
「夏目さん。私、動けないんだけど。手伝ってくれない？」
私が懇願すると、彼女は真っ直ぐ私の目を見つめ返す。
「三月さんは、オリオンだよね？」
私は耳を疑った。私のハンドルネームを彼女が知るはずがない。私も夏目由美子のハンドルネームを知らない。
まさか、ノブナガの正体は庭朋美のご主人じゃなくて、夏目由美子なのだろうか。
「どうして私がオリオンだってわかったの？ブログの内容とかプロフィルで気づいたとか？」
自由が利かない今、変に彼女を刺激するのは逆効果だと思い、私は平静を装ってみせた。
「私、オリオンと何度も交流していたんだよ。三月さんの秘密だって知ってるんだから」
瞬きをしない夏目由美子の瞳が、すべてを見透かしたような重圧を放っている。それでいて美しい。
こんな目をする人に私は出会ったことがない。私のどんな秘密をその目に焼きつけたというのだろうか。
「秘密だなんて、私はもうあのサイトにはいないんだよ？」
「わかってる。私も退会させられちゃった。何も悪いことしていないのに」
「そう。だったら夏目さんのハンドルネームを聞いてもいいよね？」
その質問には答えず、彼女は話を戻してきた。
「三月さんは誰を相手に、メールであんなことをしていたの？」
「あんなことって？」
夏目由美子は、はぐらかすように微笑んだ。