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『詠子の恋』
【スポーツ 官能小説】

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『詠子の恋』-3


 双葉大学はこの日、星海大学との試合を行っていた。
 詠子が球場に姿を現した時、既に試合は始まっていて、全く見慣れないその光景に、何処に視線をやっていいものか、詠子は戸惑うばかりであった。
「えっと……」
 グラウンド内では、両チーム共にユニフォーム姿であるから、吉川が何処にいるのか見当がつかない。座る場所もたくさんありすぎて、それだけに詠子は、逆に座るべき場所を探し当てられず、立ち尽くしていた。
「6番・サード・よしかわ」
「あっ」
 場内アナウンスが、自分の探していた青年の名を呼んだ。それを受ける形で、バットを手にしたユニフォーム姿の人物が、四角い線で囲われた場所に向かって、足を運んでいく。
「あれが、吉川クンかな?」
 双葉大学のスクールカラーである、濃緑色のヘルメットを被った、おそらくは吉川であろう人物に、詠子は視線と意識を集中させた。

【星海大】|0  |   |   |0|
【双葉大】|2  |   |   |2|

 詠子は、打席内の吉川に集中しているので、電光掲示板に表示されている試合の経過は、全く分かっていない。ちなみに、双葉大学は4番・蓬莱桜子の2点本塁打が飛び出していて、初回ながらも2点を先制していた。
 続く5番・草薙大和は、四球で一塁に出塁しており、吉川は塁上に走者を置いた状況で、打席に入っている。
「………」
 投げる方と、捕る方の間を、何度もボールが行き来する。ストライク、とか、ボール、とか、耳に入ってくる単語はあれど、詠子はそれが何を意味するのか、よくわかっていない。
「あ、当たった」
 吉川の振ったバットが、ボールをグラウンドに転がした。しかし、それはすぐに相手に捕られて、詠子の視線が追いつかないまま、素早い動作で小刻みにボールが行き交った。
「アウト!!! チェンジ!」
 白い四角の場所に向けて走っていた吉川が、天を仰いでいる。見るからに悔しそうなその仕草は、今の結果が彼にとって、非常に芳しくないものだったと、詠子は察することが出来た。
 ちなみに、吉川は今、センター前に抜けようかという当たりを放ったのだが、相手の遊撃手・田村に好捕され、結果としては、ダブルプレーに打ち取られていた。
「………」
 それが解らない詠子だが、あれほど感情を出して悔しがっている吉川の姿が、とても新鮮に映った。遠めだから表情まではわからないが、ゼミのとき、講師の塚原に嫌味を言われているときとは違う、見たことのない吉川の挙動に、詠子の心臓が少し動悸を早めていた。
 グラウンドに散る、ユニフォームの色が変わった。吉川のダブルプレーによってイニングが終了し、攻守が交代したのである。
(えっと、吉川クンは何処……?)
 アナウンスでは、“サード”と呼ばれていたが、その位置がわからない。グラウンドにいるのはみんな同じユニフォームなので、素人である詠子がその姿を探し当てられないのは、仕方がなかった。
「ストライク!!! バッターアウト!!! チェンジ!」
 詠子が視線を彷徨わせているうちに、あっという間にイニングは終わった。再び、グラウンドに散らばるユニフォームの色が変わって、詠子は困惑したまま、目の前で行われる試合を眺めるしか出来なかった。
 試合は、詠子を置き去りにして進んでいく。
「6番・サード・よしかわ」
「あ、きたっ」
 吉川の名前を呼ばれ、詠子の表情に喜色が宿った。バットを持った吉川が、左側の白い四角に再び足を運んでいく。アナウンスで名前を呼ばれるので、この時だけは、吉川の姿をはっきりと認識できる詠子であった。
 ちなみに状況は、吉川の第1打席と全く同じで、この回の先頭打者であった5番の草薙大和が安打を放って、一塁に走者として立っていた。
「ファウル!」
 先の打席とは違い、吉川は何度もバットをボールに当てていた。グラウンドの線の内側に転がらなければ、何度でもボールをバットに当てていいのだと、詠子はおぼろげながら理解をする。

 キィン!

「あっ!」
 詠子の耳が、小気味の良い音を聞きつけた。吉川のバットに当たったボールが、勢い良く鮮やかな軌跡を描いて、芝生のところを転々としている。
(吉川クン、懸命に走ってる……!)
 脇目もふらず、グラウンドを疾走する吉川。白いボールがやがて土のところまで返ってきて、走る吉川の背中を追いかけてくる。
(あっ、飛んだ!)
 詠子の目にはそう見えた吉川のヘッドスライディングが、三塁ベース近辺で土煙を挙げた。
「セーフ!」

 おおぉぉぉっ!

 吉川の三塁打に対して、詠子の周囲が歓声で沸きあがり、彼を讃える拍手が起こった。つられて詠子も、遠慮がちに両手を打ち鳴らして、胸元を土汚れで真っ黒にしながらも、先ほどとは違って嬉しげな雰囲気に溢れている様子の吉川に向けて、拍手を送った。
(吉川クン、カッコイイな……)
 球場の関心を、一身に集めるその姿に、詠子の胸はこれまで感じたことのない、猛烈な高鳴りを始めていた…。


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