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夕焼けの窓辺
【その他 官能小説】

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第6話-15

「英里、どちらに付くか、考えておきなさいね?」
ファイルの中身を確認しながら、英里の顔も見ずに唐突にその話を切り出され、身を硬くする。
「…お母さんは、どうしたらいいと思う?」
俯きながら、英里は平静を装ってそう告げたが、内心は縋るような気持ちでいっぱいだった。
作業をする手を止めて、ちらりと、母親は英里を一瞥すると、
「もう子供じゃないんだから、それ位自分でしっかり決めなさい」
やはり、英里が望んでいた言葉はくれず、むしろ真逆の事を口にした。
「そう、だね」
英里は、何とか精一杯の愛想笑いを浮かべた。
「じゃあ、時間がないからもう行くわ」
「うん、行ってらっしゃい…」
ばたん、と扉が閉まった音がすると、彼女は大きく溜息を吐きながら天井を仰いだ。
(嘘でも、一緒に来て欲しいって言ってくれないんだ…)
広い部屋も、使い切れない程のお小遣いも、何もいらない。仕事はあんなにこなせるのに、子どもが一番欲しいものが、どうしてあの人にはわからないのだろう。
そんな彼女の胸の内には、1つの決心があった。


翌朝、彼女は1つの大きなバッグを抱えて、駅へと向かっていた。
今時、置手紙なんてどうかと思うが、どうせあの家には両親共あまり帰って来やしない。
どうせ気付くのは、数日後になるだろう。その方が都合が良かった。
少し、家を離れて自分の事を見つめ直したかった。
家出といっても、元から長く離れるつもりはない。
大して荷物も持ってきていないし、せいぜい10日程度が限度だろう。
…それまでに、自分の気持ちの整理をつけなくては。
さすがにそのまま大荷物を抱えて大学へ行くわけにもいかず、駅のコインロッカーに荷物を預けて、必要最小限のものだけを取り出した。
取るべき行動が全て終わると、英里はコインロッカーの前でしばしの間立ち尽くす。
これから、どこに行けば良いだろう。
午前中の駅のホームは、通勤ラッシュのピーク時間を少し過ぎたとはいえ、まだまだ大勢の人々が行き交っている。
これだけたくさんの人がいても、自分の事を知る人は誰1人いなくて、救いの手を差し伸べてくれる人もいない。
その逆も然りだ。英里の目の前を早足で通り過ぎていく無表情な人々、その1人1人にも、目には見えずとも様々な悩みや問題を抱えているのだろう、だがそれを決して彼女が理解する事はない。
当然の事ながら、そんな光景をぼんやりと眺めていると、英里はこの場に1人で立っている自分自身が、とてつもなく孤独であるような感覚を覚えた。
しかし、いつまでも下らない感傷に浸っているわけにもいかず、英里は再びこれから取るべき行動について考え始めた。
お金は十分に持ってきたので、ホテルに泊まるのも良いが、ずっとそこに1人で居続けると、鬱々とした思考に呑み込まれてしまいそうで気が重い。
やはり、最初に思い浮かんだのはあの人の顔。
だが、家庭内のいざこざでこんな子どもっぽい行動を起こしている自分を知られたくはないし、万が一迷惑が掛けてしまったら申し訳が立たない。
しかし、家出までしている事はあくまで伏せておいて、顔を見に行くだけならば……。
そんな一縷の希望に縋り、英里は圭輔の家を訪ねてみようと決めた。




夕方に大学を出て、今は7時過ぎ。
あと数日は、確かまだ夏休み中だと言っていたから、彼は自宅にいるとは思うのだが、連絡もせずに本当に来てしまった。
連絡したらしたで、自分自身が身構えてしまうと思い、敢えて何も言わずにここまで来た。いないならいないで、それは彼を頼るなという事なのだろう。
英里は、ゆっくりと人差し指を伸ばし、古びたインターホンを押した。
(昨日の今日で、また会いに来たなんて、うっとうしいと思われるだろうか…)
沈鬱な表情で俯き、この期に及んでまだそんな心配をしてしまう。
もう、押してしまったのだから、後戻りはできない。頭の中の不安を必死に追い払う。
「はい…あれ、英里?」
ドアが開くと、急に訪問してきた英里の存在に、目を丸くした圭輔の顔があった。
「あの…」
「…圭輔、誰が来たの?」
英里は相変わらず俯きがちに、恐縮しながらも言葉を続けようとした次の瞬間、部屋の奥から誰かの声がした。彼女の知らない女の人の声。
英里は一瞬、びくりと体を強張らせる。
「えー、誰?」
「この子、もしかして圭輔の彼女?」
「背高いねー」
部屋の奥から、さらに数人の男女の声が響く。
興味本位で自分をじろじろと、上から下まで品定めされるように眺められて、英里はより深く俯いてしまう。
「おい、やめろって。…急にどうしたんだよ?」
圭輔は、奥からの野次を注意しながら、英里に向けての言葉だけは優しい声で告げる。
「いえ、その…」
複数の視線が突き刺さる。自分だけに、向けられた好奇心。こんな状況で、何も言えるわけがない。ましてや、用事もなくただ会いに来ただけだなんて絶対に言えない。背中に冷や汗が流れ落ちる。頭の中が真っ白になり、英里は口を噤んでいると、
「その子、圭輔の彼女なんでしょ?だったら一緒にいれば?ねぇ」
1人の女性が立ち上がり、そんな事を言い出す。最後の一言のみ、英里に向けて発せられた。
「何言って…」
賑やかなところが苦手な上、人見知りの彼女が知らない人間ばかりのここにいたがるわけがない。
圭輔は助け舟を出そうとするが、その前に英里は顔を上げると、きっぱりと断った。
その強気な口調から、何となくこの女性の前でおどおどした自分を出したくないと反射的に感じた。
「お気遣いありがとうございます、でも私がいたらきっとお邪魔になりますから」
その後、圭輔の方に顔を向け、
「ごめんなさい、突然来て迷惑掛けちゃって。今日は帰りますね」
声を発している間、終始、穏やかに微笑みながらそう告げると、ドアを開けて部屋を出た。
無言で、圭輔もその後を追う。


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