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濃霧の向こう側に手を伸ばして
【大人 恋愛小説】

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-2

 エンジンを切り、玄関の鍵を開ける。きちんと閉まっていたようだ。そのままドアノブを回してドアを引くと、俺は仰天した。
 朝、俺が出掛けた時のまま、時間が止まったようにキリがそこにいた。浴室のドアの横にへたり込むように狭い廊下に座っている。赤と白のパジャマ姿のままだった。
「お帰り、武人」
 俺を見上げるようにして必死に笑顔を見せる。
「何してんの、こんなとこで。着替えもしないで」
 酷く冷たい声が出たが構わなかった。キリは裸足の足を手の平でしきりにこすりながら「早く帰って来ないかなぁと思ってここで待ってた」と少し笑って、すくっと立ち上がった。
「え、いつからここに座ってたの」
「十時頃かな」
 俺は絶句した。もう七時だ。この女は、知り合ったばかりの、何の関係もない俺の帰りをここで、九時間も待っていたと言う事か。
「昼飯は?」
「食べてないよ」
 当たり前のように言う彼女の背中を押すようにして部屋に入り、洗濯物が外に干されている事を確認する。俺の視線に気付いたように、彼女が口を開く。
「洗濯はきちんとしたよ。けど夕飯はこれから作るから。ごめん」
 そう言って彼女は腕まくりをし、手を洗い始めた。俺は鞄を棚に置いてベッドに腰掛け、暫く呆然としていた。
 この女は、何なんだ。夕飯を作っていなかった事は全くもってどうでも良かった。玄関で九時間も俺を待ち続けていたという事が問題だ。俺は毎日、出がけには犬を捨てて行く飼い主のような気分になり、帰るとあの女が玄関で全力待機している事になるのか?
「あのさ、何がしたいのか知らないけど、普通に生活しててくんない? 玄関で帰り待ってるとか、ホラーに近いんだけど」
 台所に立つキリはくるっと振り返り「何で?」と問う。手に包丁を握っているとホラー感が増す。
「いや、何でって考えたら分かるだろ。何で玄関で待ってんだよ。ハチ公かよお前。何度も訊くけど、俺の知り合い?」
 キリは首を左右に振る。やはりそれ以上言うつもりは無いらしい。包丁の規則正しい音が鳴り、まな板を滑らせてフライパンに具材が放り込まれると何かが焼けるようなじりじりとした音がしてくる。焼ける匂いに、途端に腹の虫がわめき出す。
 昨日と同じようにちゃぶ台には沢山のおかずが並んだ。短時間でこれ程までに料理ができるのは、やはり作り慣れているとしか思えない。
「ではいただきます」
 キリの声掛けで食事が始まるのがなんだかおかしくて「何でキリが号令かけんだよ」と俺が笑うと、キリはご飯を口に運んだまま、口から箸を生やして「ふふふ」と笑う。
「十時からあそこで座ってて、昼飯は食べてないなら腹減ってんだろ」
 当然とでも言うように大きく頷くキリを見て俺は苦笑する外なかった。
「あのさぁ、俺んちなんだから、俺が帰ってくるのは当たり前なんだから、あそこで待つのはやめろよ」
 しかしキリからは返事はなく、「お味噌汁ちょっと濃かったかも」と、とんでもない話に飛んで行く。

 翌日も同じだった。キリ曰く、午前中は何とか耐えたらしい。しかし、昼ご飯を一人食べていると急に寂しくなり、玄関の前で「鍵の部分が回るのを待ってた」らしい。
「ねぇ武人、私お金あるから、武人は会社にいかなくてもいいよ?」
「何言ってんだ、お前は俺の何なんだよ」
 思わず怪訝な視線を向けてしまう。彼女は少し怯んだ様子で息をのみ、それから「そうだよね」と自分に言い聞かせるように苦笑いを浮かべた。何かブツブツ呟いているのだが、何を言っているのか、食器を洗っている俺には全く聞こえない。
「そもそもさ、何で俺の事呼び捨てで呼んでんの」
「だって私の事だってキリって呼んでんでしょ」
「はぁ?!」俺は首をぐいっと後ろに捻って「キリがキリって呼べって言ったんだろ、俺は武人って呼べなんて言ってない」と強く言った。
「でも武人って呼んでも返事してくれるでしょ。なら武人でいいでしょ」
 ひょうひょうと言う。暖簾に腕押し状態になるわけだ。何を言っても武人と呼ぶのだろう。俺はそれ以上何も言わなかった。


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