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夕焼けの窓辺
【その他 官能小説】

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第5話-13

人の温もりを感じるのは本当に心地良い。
両親共仕事で忙しく、幼い頃から1人である事が多かった彼女にとって、こんなにも近くに感じられる相手は彼が初めてだった。
初めて自分を受け入れてくれた存在。
自分に興味を失くし、離れていってしまう事が恐ろしくて、上手く付き合えない。
いつからか、彼の前でも両親の前で振舞っている “いい子”の自分を演じているような気がする。
極力迷惑を掛けないように。自分の気持ちを押し殺して。
無理をしているつもりはないが、それが圭輔には無理をしているように見えていたらしい。
自然体の自分というのは、一体どんな風だったのだろう。
これが“自分らしい”という像を作り上げた今となっては、輪郭がぼやけてしまってわからない。たぶん、以前彼に言われた“顔色を窺っている”という言葉は間違っていない。
図星だからこそ、つい感情が昂ぶってしまった。
その反面、今思えば嬉しくもある。
もし自分が彼にとって取るに足らない存在なのであれば、あそこまで怒りもしなかっただろう。
勿論喧嘩なんてしたくはなかったが、他の男との事であんなに感情を剥き出しにしてくれた事は、少なくとも英里自身に対する興味が薄れていないという事なのだから。
英里は眠っている圭輔の少し硬めの黒髪を、優しく撫でたり、指で梳いたりして慈しむ。
眠っている今ならば、こうやって触れる事も許してくれるだろう。
彼の頭を胸元に抱き寄せて、愛おしく包み込む。
彼女には、今自分がどんな顔をしているのかわからない。
…無意識のうちに、泣きそうな顔をしている事を。

それから少しの時間が経ち、ふと、圭輔は目を覚ました。
ずきずきと頭痛を感じる。どうも最近連日の寝不足がたたったようだ。
帰宅が遅いせいで、まともな食事を摂っていなかったのも徒になったかもしれない。
頬に触れる、ふわふわと柔らかくて温かい感触。
英里の顔が見えたから、きっと心地よい夢の中にいたのだろう…。
そこでの彼女は、哀切の表情をしてはいなかった。
優しい笑顔で、自分に接してくる。さらりと揺れる、健康的で艶やかな長い黒髪。
薔薇色の唇が、言葉を紡ぐ。唇を寄せる。
細い指先が、愛おしそうに自分の体に触れる。
まだ、醒めたくない。だが、夢の世界は無情にもだんだんと遠ざかってゆく。
余韻に浸りながらゆっくり目を開くと、圭輔は目の前の英里の姿を見て、眠気が一気に吹き飛んだ。
(何で、英里がうちに…!?)
英里に抱きしめられている上に、彼女の胸元に顔を埋めて眠っていたのだ。
まるで寝つきの悪い子供をあやすかのように優しく頭を撫でられていて、心地良さと同時に、気恥ずかしさに顔が火照る。
ただでさえ暗い部屋の中、軽く目を伏せていた英里には、幸い圭輔が目を覚ましたと気付かれていないようだった。
彼女とは酷い喧嘩別れをしたっきりだ。
目を覚ました事を悟られると、きっと気まずくなってしまう。
もうしばらく彼女の温もりを感じていたくて、圭輔は再び目を瞑る。
先程、うっすら開いた瞳に少しだけ映った英里の穏やかに微笑んでいる顔が、目蓋の裏に今も鮮やかだ。
あれ以来、連絡すらとっていなかった事もあり、彼女の顔を見たのはとても久しぶりのように感じた。
醜い位の嫉妬の感情を剥き出しにしてしまい、彼女はきっと自分の事を軽蔑しただろう。
同じ学部の友達だと英里が言っていた男と話している姿を見かけた時、彼女が自分と一緒にいる時よりも自然体でいるように見えた。
自分の職業柄、知り合いと遭遇しそうな可能性のあるところではデートもできない。
喫茶店で他愛ない会話を交わしている2人の姿はどう見てもお似合いの恋人同士のようで、悔しくてたまらなくなり、余裕のない行動に出てしまった。
自分に自信が持てないのは、英里だけではなく、圭輔も同じだった。

そうとは知らない英里は、圭輔の頬に触れる。
彼が眠っているものと思い込んで、すっかり気を緩めている彼女は、無防備に自分の真情を吐露してゆく。
圭輔と会えない間、話したい事がたくさんあった。
喧嘩さえしなければ会って話したかった事を、寝物語のように次々と口に出してゆく。
勿論、彼を起こしてしまわないよう小声だ。
囁くように言葉を紡ぐ英里の涼やかな声が、圭輔の耳に心地良く響く。
「最近ちょっとずつ料理の練習してるんだ。圭輔さんくらい上手くなれるのはだいぶ先かもしれないけど、いつか食べてもらえるといいなって。好きな料理は何かなぁ。でも料理の練習してるって知られたくないからそんな事聞けないよね」
いつもは敬語の彼女のくだけた喋り方が、何だか新鮮で可愛らしい。
小声ながらも声音から明るい気持ちが伝わって、圭輔は心の中で微笑む。
「この前観に行った映画、圭輔さんを誘いたかったんだけど、忙しいだろうなぁと思って…」
少し、英里の声のトーンが落ちる。
「…信じてもらえないかもしれないけど、あの人は本当にただの友達だから…」
圭輔は、複雑な気持ちでこの告白を聞く。
しばらく、英里は黙っていた。
話している内に、あの時の悲しさが不意に込み上げてきたのだ。
さっきまで彼の髪を撫でていた手も止まる。
「…もう、無理かも…」
この気弱な声に、圭輔の心臓が大きく高鳴る。
「うっとうしいって思われたくなくて、仕事の邪魔しちゃいけないからって思って必死に我慢してた…でも心の中ではどんどん醜い気持ちが溢れてくる、こんな自分大嫌い」
どうせ、今の自分は彼から誤解を受けているままだ。
彼を好きな気持ちは止められない。だが、こんな醜い自分は知られたくない。
いつか自分の溜め込んでいた気持ちが爆発して、酷い台詞を吐いてしまわないか、怖くなっていた。
本当に、どこまでも良い子の自分しか演じられない。
殻を破れない自分が嫌になる。
圭輔の唇に、白魚のような彼女の細い指先がそっと触れる。


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