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月虹に谺す声
【ホラー その他小説】

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月虹に谺す声-6

 そこへ、その沈黙を破るように、いつか月郎が山中で出会った不思議な老人が姿を現した。
「紅蘭、随分とその子に御執心じゃないか?」
 顔を見るなり、下卑た笑いで少女をからかう老人。
「ば、莫迦言ってんじゃないよ、この糞爺っ!!私はこんな甘ったれた陰気な奴は大嫌いなんだよっ!」
 からかわれ、顔を赤くして声を荒げる紅蘭であったが、何かしら反応があるのかと月郎を盗み見る。しかし、月郎には何の反応もなく、紅蘭は軽くかぶりを振って老人に尋ねた。
「この子、何だってこんな魂の抜け殻みたいになっちまったんだい?」
 すると老人は真顔に戻り、紅蘭と同じように月郎の方を見た。
「人の事はあれこれ詮索せんことじゃ。お前さんじゃって自分のことは話したがらんじゃろ?紅蘭って名前も、果たして本当の名前やらどうやら…」
 言われて少女は口をつぐんだ。これ以上何かを訊いては自分のことまで訊ねかねられない。そうなっては藪蛇である。
「名前…、名前とかくらいなら教えてくれても良いだろ?」
 ぽつり訊ねる紅蘭に、老人は黄ばんだ歯を見せて破顔した。
「そうさのう…。確か、月郎とか言っておったのう…」
「………月郎、か」
 聞き取れるかとれないかくらいの小さな声で反芻する紅蘭。
 一瞬、紅蘭は自分が何をしにこの町に現れたのか忘れてしまったが、次の瞬間、風に乗って漂う生臭い血の臭いにはっと我に返り、その風上から姿を現すおぞましい者へと顔を向けた。
 血の臭いに反応したのは無論紅蘭だけではなく、老人も、そして魂のない少年も顔を上げ、闇の中から姿を現す何かが明るみに歩を踏み出すのをじっと待った。
 ひたひたと近付く足音と、濡れた毛布を引きずるような湿った音。やがて街灯の下に姿を現したそのおぞましい者は、狂気に瞳を燃やした死神のような男であった。

「おやおや、獣の臭いがするかと思えば、察するところ御同輩じゃないのかな?そちらの爺さんは見覚えがある。俺が門に拒まれた時にウロウロしていた爺さんじゃないのか?」
 そう言うと男は、手に引きずった濡れた毛布、首を食いちぎられてだらりと垂れ下がった女の死体を無造作に放り投げた。死体はどしゃりと言う鈍い音と共に地面に転がると、すんでの所でつながっていた首がもげ、ごろりと転がる。
「ほう、何処の人狼が暴走しているのかと思えば、お前さんじゃったか…。確か、去年だか一昨年に門に拒まれたんじゃな」
「胸くそ悪い事しやがる…」
 紅蘭が眉根を寄せ、吐き捨てるように呟く。
「人を捨てろと言われたのでね、こうやって日々精進しているわけさ。俺はこうやって人を殺すことで自分の中にある人間性を捨て、もう一度狼の門をくぐるのさ。お前等だって一度は門をくぐった身だ、理解できるだろう?」
「莫迦莫迦しい。そんな事で狼の門に受け入れられるものか。儂はこれまで何度もお前さんの様な狂気に取り憑かれた者を見てきた。だが、そんな事をして狼の門に受け入れられた者なぞただの一人もいなかった。無駄なことはやめるんじゃな…」
「ふん、だったらこれまでの奴らは殺しが足りなかったんだな。俺は人間なんぞいくら殺しても何とも思わねぇ。むしろ、心地よいくらいだ。つまりこれは、人と決別して、俺の本性が狼に近付いている証拠だ…」
「狼の本性が無闇に人間を襲うこととは思わんがの。さっきも言ったが儂はお前さんの様に考えた奴をいくらでも見てきた。いくらやっても同じ事じゃ。無益な殺生はやめることじゃな。」
「うるせい、爺ぃっ!!」
 激高した男はいきなり老人を殴り倒した。
「だったら、どうすれば人間を捨てられる?どうすれば狼の門をくぐれる?どうすればこんな腐った世界と決別できるんだっ!!畜生、どいつもこいつも俺を莫迦にしやがってっ!俺は絶対この世界から決別してやる。誰にも俺を莫迦にさせねぇ。俺を莫迦にするなぁああああっ!!!」
 半狂乱になった男は踞る老人を容赦なく蹴りたてた。そこへたまりかねた紅蘭が老人を助けに入る。
「やめなよ、大の男がヒステリーなんてみっともないよ」
「うるせいっ!」
 男は老人の前に立ちふさがる紅蘭をも容赦なく殴った。これまで何人もの人を食い殺してきた男だ、相手がたとえ女子供であろうと躊躇い無く暴力を振るう。
「どうすればいい。俺はどうすれば狼の門をくぐれるっ!?」
「…そんな事が分かれば、儂がとおの昔に門の向こうに行っておるわい……」
 吐き捨てるように呟く老人。しかし、その言葉を受けたのは、今まで黙って事の成り行きを見守っていた月郎だった。
「狼の門に迎えられるのは、種として人への帰属意識の希薄な存在だ…。それは魂のあり方だ。努力して変えられる物じゃないんだ」
 狼の門を求めて藻掻くさもしい姿。己の欲望を満たす為に他人を犠牲にする残酷さ。そして、自らの世界に相容れない脆弱さ。他人に非を求める矮小な人間性。まるで自分の思い通りにならない事に対して幼い子供が癇癪を起こすように、自分のみを憐れみ、嘆き、そして自分以外の世界の全てを憎み、恨み、拒絶する。それはしかし、子供ではない。


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