『tetsu』-1
「あれ？武田さん？」
私はたまたま立ち寄った本屋で、彼に会ってしまった。私の心臓は周りの人に聞こえそうなぐらいの音をたてて動いている。
「あぁ〜石原さん、久しぶり！元気だった？」
最後に彼の声を聞いたのは一年以上前だ。ずっとずっと聞きたかった声。また音が大きくなる。
彼とはバイトが同じだった。彼の優しさにすごく惹かれていたが、彼に想いを伝えることはできなかった。私に勇気がないだけ。
そんな中、男の人と付き合ったことがなかった私は、他に仲良くなった男の人と成り行きで付き合うことになった。二人の間に何の進展もないまま私はバイトを辞めてしまった。携帯の番号を交換する勇気もなかった私は、それから彼と連絡を取ることはなかった。でも、それから彼のことを想わなかった日は一日もなかった。
私は震えそうな声を懸命に出して答えた。
「それなりに…。何してるんですかぁ？」
「暇だからブラブラしてた。そうだ、今時間ある？どっか行かない？」
私はそんな言葉が返ってくるなんて思ってなかった。私の返事は決まっている。
「うん、私もすごい暇してたとこ！」
私は彼の車に乗り込んだ。以前に乗った時は他の人も一緒だった。前と比べて少し雰囲気が変わっていた。でも彼の吸う煙草のにおいは同じだった。
あたしなんかが助手席に座っていいのかと頭では思っていたが、ほんとは嬉しくて仕方なかった。
「どこ行きたい？」
「どこでもいいよ」
まるでデートみたいなんて、一人で舞い上がっていた私。普通に振る舞うのがほんと難しかった。
車を運転する彼は思わず押し倒したくなるぐらいかっこよかった。彼の唇、腕、体、すべてを奪ってしまいたかった。その手で私を触ってほしい…。
私がそんなことを思っているなんて知らずに彼は話しかけてくれていた。でも彼の口から出る言葉は、どこか元気がないように聞こえた。
少し車を走らせて近くのファミレスに入った。
彼と向かい合わせに座るなんて初めてだ。もちろん目なんて合わせられるはずがない。
彼の前では、何を食べるか、どう食べるか、変な風に見えてないかいろいろ考えてしまって緊張する。ここ最近感じたことのない気持ちだ。ほんとは彼に会うのが怖かった。一年近く会ってないのに、私は全然変わってない。むしろ女の美しさをなくしかけていた。ただでさえ自分に自信がない私は、彼にそんな自分を見られたくなかったんだ。でも彼に会いたいという気持ちはずっと持ち続けてしまっていた。なんて図々しいんだろう。
でも今日、想い続けてきてよかったとつくづく思った。
彼は料理を食べながら私と会話を交わしてくれた。私は思いきってさっきから気になっていたことを聞いてみた。
「なんかあった？元気ないオーラが出てるよ？」
「マジで？分かっちゃうんだなぁ。実はさ、昨日彼女と別れちゃってさ…」
私は彼に彼女がいるのは知っていた。私の彼氏は、私と彼が出会ったバイト先で一緒に働いていた。今も彼氏と彼は一緒に働いているから、彼氏から彼の彼女の話は聞いていた。以前バイトをしていた時から、彼からも彼女の話を聞いたこともあった。私はその話を聞く度、ひそかに嫉妬していたのだが…。
「よりによって旅行の計画してた時にさぁ！どうすんだよ、もうホテル予約しちゃったのに。」
彼は来週彼女と旅行に行こうとしていたらしい。
「そぉなんだぁ。旅行も無駄になっちゃうね。でも元気出してよ！」
あたしは口ではこんなことを言っていたが、内心喜んでいた。彼が彼女と旅行に行くなんて想像したくないからだ。私の頭の中では、彼は私だけを犯していてほしかった。
彼はそれからまた普通に話しだした。
「最近どう？西山さんとうまくいってる？」
西山さんとは私の彼氏だ。
「まぁまぁだよ。毎日同じ生活の繰り返しって感じ。」
私は彼氏と一緒に住んでいる。普通は同棲というと幸せな二人をイメージするだろう。でも私は彼氏に仕事を辞めさせられバイトもさせてもらえず、毎日を家ですごしていた。正直かなりストレスが溜っていた。だから外に出掛ける度に彼と出会えることを、心のどこかで期待していた。単調な生活に刺激を求めていたのかもしれない。再び彼の優しさに触れてしまった私は、彼にまるで彼氏だけが悪いかのようないろんな話をしてしまった。
「西山さん、職場の女の人とメールしてるんだよぉ。元カノとも。なのにあたしはいつも家で一人ぼっちだよ…」
実際に彼は元カノや仕事仲間の女と連絡を取り合っていた。普通はこんなことでは浮気とは言わないが、彼氏は私に男友達とのメールも浮気だと言って止めさせた。だから彼氏のやっていることも私のストレスのの原因の一つになっていた。