投稿小説が全て無料で読める書けるPiPi's World

夕焼けの窓辺
【その他 官能小説】

夕焼けの窓辺の最初へ 夕焼けの窓辺 27 夕焼けの窓辺 29 夕焼けの窓辺の最後へ

第3話-4

「それが、すっごく美味しかったんですよ!」
圭輔が怒っていない事を知り、英里は明るくそう答えた。
「へー、俺も行きたいな。ちょっと味の研究に」
「研究って…」
「日々是精進。俺のモットー」
「…お菓子作りの研究より先に、数学教師が計算間違えるなんてミスしないように努力した方がいいんじゃないですか?」
少し呆れた声を上げて、英里は圭輔の横顔を見つめる。
「…それ、かなりぐさっときたんですけど」
運転中で彼女の方を向くわけにも行かず、圭輔は弱々しくそう言った。
「だって本当の事ですし。それに先生、1人で入れるんですか?あそこかなり可愛いお店ですよ。女性客ばっかり」
「…。」
ぐっと圭輔が言葉に詰まった後、拗ねたように小声で愚痴を零す。
「男が甘いもの好きで何が悪いんだよ…」
「…いえ、全然悪くないです…」
彼をからかうのが面白くて、笑いを噛み殺しながら英里は返答する。
「じゃあ、今度一緒に…は無理ですよね。私が買ってきてあげますよ」
「…いいのか!?」
圭輔のあまりに無邪気な反応に、英里は堪えきれずついに吹き出してしまった。
(可愛い…)
何とか堪えようとしているつもりが、肩を震わせていつまでも笑っている英里に対して、圭輔は憮然とした表情をしたまま運転を続ける。
彼の趣味は実は料理で、最近はお菓子にまで凝り始めているらしい。
英里は、笑いを止めて、ふと思うと、自分には趣味といえる趣味がない事に気付く。
読書…は趣味といえるのかわからないが、とにかく彼のように打ち込める事がない。
こんな自分には、彼を笑う資格なんてきっとない。少しだけ、気分が塞ぎこむ。
「ごめんなさい。笑うなんて、失礼ですよね…」
「いいよ、別に。もういっそ思いっきり笑ってやって」
突然しゅんとしてしまった英里に、特に気にしていないとでもいう風に圭輔は明るく返事をする。
彼の穏やかな声に、英里の胸に甘酸っぱい感情が湧きあがる。
…結局、甘えているのだろう。
自分が何を言っても、受け止めてくれる彼の寛大さに。
そういうところが、まだまだ幼い自分や同年代の異性と比べて、彼は大人なんだろうと思わせる。
子どものような無邪気さと同時に落ち着いた大人の雰囲気を併せ持つ彼に、また惹かれてしまう。
そうこうしてるうちに、彼女の家の付近に着いたようだ。
「先生は、どんなケーキが好きなんですか?」
助手席のドアを開きながら、英里は圭輔に問い掛ける。
「うーん、やっぱまずはショートケーキかな…。そこの店の味がよくわかるし」
「そうですか。だったら他にもいろいろ買ってきますから、存分に研究して下さい」
「…やっぱバカにしてるだろ」
「まさか。研究の成果すっごく楽しみにしてるんですよ。ファン第1号ですから」
淡く微笑みながら席を立とうとする彼女、暗闇の中、うっすらと月の光に照らされた白い横顔はとても神秘的な美しさを帯びていて…思わず、圭輔は英里の腕を掴む。
黒髪が、ふわりと揺れる。
そのまま、強く引き寄せて、彼女のふっくらとした紅い唇に口付けた。
「!?」
突然腕を引かれ、勢い余って英里は圭輔の方に倒れこんでしまった。
「せ、先生…!こんなところで、もし誰かに見られたら…!」
「ごめん、何か急に…すごくキスしたくなった」
そんなにストレートに告げられると、彼女お得意の皮肉も咄嗟に思い浮かばない。
「…。」
別れる前にもう一度だけ、彼は呆けたままの英里の体を抱き締めた。
「…おやすみ…」
声のトーンが今までと違う。今の彼は、長谷川圭輔という教師ではなく、英里にとって初めての恋人である男性だった。
「あ、はい…また明日…」
彼が去った後も、英里は呆然とマンションのエントランスに突っ立っていた。
まだ、自分の唇に、彼の唇の感触が残っている。
ぼんやりと久しぶりのキスの余韻に浸ったまま、彼女は自分の家へと向かった。
―――帰りの車内、圭輔も自分の理性に反した行動を反省する。
英里の横顔が、不意に別人のように美しく、大人びて見えて…離したくなくなった。
圭輔も、英里の唇の温もりを思い返していた。



その週の日曜日、英里は約束通り、例の店でケーキを買ってから圭輔の家へと向かう。
昼間は友人と遊びに行っていて、その帰りについでに寄ってみたのだった。
彼の家に行くのは、これで3度目だ。
古びたドアの隣に備え付けてあるインターホンを押す。
返事は、ない。
「いないのかな…」
ちらり、と自分の手に持っているケーキの箱に目をやる。
生ものなので置いて帰るわけにもいかない。
待つにも、彼が一体いつ帰ってくるかわからない。
約束もせずに突然訪れた自分が悪いのだから、不在の可能性も十分有り得ると思っていたので、仕方がない。
間を置いて、最後にもう一度だけインターホンに手を伸ばす。
「…あれ、水越さん?」
振り返ると、買い物帰りのようである圭輔が、ちょうど階段を登りきったところだった。
「あ、先生…」
「どうかしたのか?」
「いえ、ちょっと近くに寄ったので、これ」
英里は、ほっと安堵したような表情を見せると、ケーキの箱を示した。
「あ…ありがとう。わざわざ買ってきてくれたんだ」
口角を上げて、嬉しそうに微笑んだ。
圭輔の、年齢の割に素直に感情を表すところが、英里は好きだった。
だが、圭輔の笑顔の理由の大半は、ケーキではなく、わざわざ休日に英里が来てくれた事なのだが、彼女自身は思いも寄らない。そんなところは、彼の報われない点だったりもする。


夕焼けの窓辺の最初へ 夕焼けの窓辺 27 夕焼けの窓辺 29 夕焼けの窓辺の最後へ

名前変換フォーム

変換前の名前変換後の名前