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深海の熱帯魚
【純愛 恋愛小説】

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.29 矢部君枝-2

「拓美ちゃんの件に関しては、結局ね、先生が一番悪いと思うんだ」
 私は自分の思う所を言った。塁がどう考えているかは別として、私はそう思ったから。
「じゃぁ何で俺は智樹に殴られそうになったんだ?」
 ホットコーヒーにポーションミルクを入れながら私の顔をちらりと見た。さすがに智樹君が考えていた事まで覗き見る事は出来ないので、推測の域を出ないが、何とか頭を絞って推測で話した。
「混乱してたんだよ。うまく行ってると思ってた二人がいきなり別れる事になっちゃって、しかも理由があんな......劇的な理由でさ。智樹君、混乱してたんだと思う。ぶつけようがなかったというか」
 ふーん、と言いながらスプーンでコーヒーを混ぜに混ぜて、途中でその手を止めた。
「で、俺にどうしろと?」
 眉間にしわを寄せて怪訝な顔をしている。私はただ塁に、今まで通りに部室に来て貰って、他愛もない話をして、意地悪されて、智樹君に助けられて、そんな日常を過ごしたいだけ。それをどう説明したらいいのか困った。暫く、手元にあったカフェモカの入ったカップを両手で握っていた。凍えた指先に体温が戻ってくるぐらい、長く。
 やっと口を開いた。それでも重くて、なかなか持ち上がらなかった口。
「好きなの。二人の事が。仲良くじゃれ合ってる二人が好きなの。だから、塁に部室に来てもらいたいの。今まで通り、塁と智樹君がいて、私は大好きな二人を見てたいの」
「お前ひとりのお願い事かよ」
 塁は鼻で笑って、コーヒーを一口飲んだ。それから斜め上を見上げながら何か考え事をしているようだったので、私は口を噤み、彼の言葉を待った。
「矢部君ね、君は俺と智樹のどっちが好きなの?」
「えっ」
 素っ頓狂な声が出た。慌てて口を押え「どっちって.....」
「どっちも、じゃダメなの?」
 それが正直なところだったから。ライクではなくてラブで考えても、二人の事が好きだったから、私はそう答える事しかなかった。塁がライクとして捉えているのか、ラブとして捉えているのかは分からないけれど。
「それってさ、苦しくない?」
 塁はまた一口、コーヒーを飲んで、続けた。
「俺は智樹が好きだつったよね。でも、もう一人好きな人が出来た。智樹は多分、そいつの事が好きなんだ。極めつけに、俺はそいつの事を大事にしている智樹の事も好きなんだ。そうなってくるとね、俺はどうしたら良いと思う?」
 私は答えに詰まった。私よりよっぽど複雑な状況に置かれている塁が、拓美ちゃんの件とは別として、智樹君と顔を合わせづらい状況にあったのかと、今更知った。
「矢部君は、俺と智樹の事が好き。でも俺は智樹の事が好き。結構似てない?」
 私はカフェモカを口にした。
 歪な三角関係。確かに似ている。そもそも三角関係に、正しい答えなんてない。三人の人間が関わっていて、どこかがくっつけば、それで終わりなのだ。
「塁の三角関係は、塁と智樹君、智樹君と女の子、どっちかがくっつく事で終わるでしょ。私の三角関係は、塁と智樹君がくっつく事で終わる。塁も智樹君も好きな人がいるって言ってるからね。ちょっと違うよね」
 塁は暫く下を向いて、そのまま「あのさぁ」と言う。私は彼に視線を遣る。
「例えばね、俺が矢部君の事を好きだったとするでしょ。そうなると、事はもっと複雑だよね。そしてね、智樹が矢部君の事を好きだったとするでしょ。そうなると、もっと複雑だよね、極めつけに、俺と智樹がくっつくってのは、性的に有り得ない」
 私は頭がついて行かなくて、指で作った三角形がぐしゃぐしゃに崩れ「たとえ話禁止!」と塁に言ったら、塁はへらへら笑っている。
「とにかく、俺がサークルに戻れば、矢部君は満足な訳ね」
 私は無言で何度も頷いた。その通りなのだ。難しい三角関係なんて、この際関係ないのだ。私は大好きな二人に、仲良くしていて欲しいだけなんだ。

 翌日、やはり部室には塁の姿が無かった。
 いつも通り適当な話で盛り上がっていたが、私は窓に近い場所に椅子を置き、時々正門に向かう人並みからからし色のダウンジャケットを探した。
 正門に向かう人もまばらになった頃、ガチャリと部室のドアが開いた。
 ひょいと顔を出したのは塁だった。
 塁は何も言わず智樹の前に行き、低い声で「立て」と一言言った。また掴み合いになるんじゃないかと私は中腰になり、それと同時に智樹君が立ち上がった。
 すると塁は少し高い位置にある智樹君の顔を両手で挟み「大好きだよーん」と言って彼の頬にキスをした。
「バッカお前なにしてんだよ気味悪ぃなぁ!」
 智樹君は塁を突き放して頬を手のひらで擦っているけれど、智樹君の顔は真っ赤で、いつか海で見た、あの顔だった。
 塁は花が咲いたような笑顔で智樹君を見ている。私はほっとしたと同時に、二人が羨ましかった。


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