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画家≒幸せ
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画家≒幸せ-2

 何日か経った時、彼はふいに思い出したんだ。自分が画家だという事を。彼はその小さな椅子をどけて絵を描くスペースを作った。そして一心不乱に彼女の絵を描いた。目の前に彼女がいなくても、彼女のあの美しい細い髪も、あの長い睫毛もくっきりと思い出して描く事が出来た。彼はほとんど眠らず、食事も摂らず、ただ描き続けた。そして二週間が経った月の細い夜に、とうとう絵が完成した。それはとても素晴らしい出来栄えで、人物画は初めてとは思えないくらいだった。絵の中の彼女は、正面を向いて少し微笑んでいる。今にもその睫毛が揺れて笑いかけてきそうだった。彼は絵の出来栄えに満足し、絵の前にあの小さな椅子を置いて、彼女に向き合った。目の前には彼女がいて、周りには思い出の景色が広がっている。彼が絵を見つめていたその時だった。絵の中の彼女にほんの一瞬だけ、本当に小さな異変が起こった。でも彼がそれを見逃すはずもなかった。確かに彼女は瞬きをしたんだ。長い睫毛が揺れ、目蓋をそっと閉じてまた開いた。彼はキャンバスを掴んで顔を押しつけ
んばかりに彼女の目を見た。何時間も見ていた。けれども、彼女が瞬きをする事はもう二度と無かった。彼は諦めて、その絵を風景画の並びに加え、次の作品に取り掛かった。今度は一週間と四日で絵は完成した。横顔の彼女だった。恥ずかしがる時にいつもそうしたように、少し俯いて頬を紅潮させている。その顔にさらさらの長い髪が幾筋か流れている。一作目と同じように完璧な彼女だった。生きているような、というより生きているようにしか見えなかった。彼はキャンバスをやはり真ん中に置いたまま、その前に椅子を置き、彼女が瞬きするのを待ち焦がれた。しかし今度は瞬きではなかった。まるで彼が彼女の髪を撫でた時のように、一本一本描き込まれた髪が優しく揺れたんだ。彼は絵を抱き締めて喜んだが、やっぱり彼女がもう一度動く事は無かった。」


突然ミユキの足元に何かが飛んできた。それは車椅子に引っ掛かって動きを止めた。綺麗な色のマフラーだ。僕が手に取ると、先程見かけた髪の長い女性が走ってきた。
「すいません、風に飛ばされてしまって…。ありがとうございます。」
 僕が手渡すと彼女は受け取り、やって来た方向へと戻って行った。一緒に居た男性はどうしたんだろうと思い、少し先を見ると男性が一人でぽつんと立っていた。片方に松葉杖をついている。ふいにバランスを崩すと地面に倒れこみ、その弾みで松葉杖が離れた場所に転がった。必死で手を伸ばしても、あと少しというところで届かない。彼のもとに戻って来た彼女は、ただ黙って後ろから見つめているだけだった。

「お兄ちゃん?早く続き!」 ミユキが僕の顔を覗き込む。
「ごめん、ごめん。えっと、どこまで話したかな?…ああ、そうだったね。絵の中の彼女は、瞬きや髪が揺れたりしても、本当にただ一度きりだったんだ。そして彼は考えた。きっと『絵』じゃ足りないんだ。必要なのは描かれた彼女ではなく、『本物の彼女』だったんだって。それから彼は残り少ないお金を集めて、彫像を作るための石膏や土台、型を取る木材、もちろん彫るための大小様々な道具を買い揃えた。そこでお金は使い果たしてしまったが、彼ははやる気持ちを抑え切れず、さっそく家に帰って作業に取り掛かった。だがそこで彼は大変な事に気が付いた。等身大の彼女を作るつもりだったのに、石膏の材料が足りなかったんだ。しかし買い足すにも、お金はもう無い。彼は仕方なく、上半身だけの彼女を造ることにした。初めての彫刻の作業は困難で、一向に進まなかった。何度も失敗した。どれぐらい日が経ったのかもわからない頃、作品、いや彼女は出来上がった。失敗を繰り返したので、予定していた上半身には石膏の量が足りず、頭部だけとなったけれども、それでも間違
いなく完全な彼女だった。流れる髪、ふっくらした唇、今にも瞬きしそうな彫りの深い目。どこも完璧だった。そして彼は待った。彼女が瞬きするのを。髪が揺れるのを。唇が微笑むのを。


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