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数ミリでも近くに
【大人 恋愛小説】

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-1

「で、それ以来、中村君は来なくなったんだね」
 スミカはリビングのソファに座り、アイスティを飲んでいる。
「昨日研究棟で顔を合わせたんだけど、挨拶だけして去って行った」
 アイスティ私も飲もうかな、と葉子はキッチンへ歩いて行く。
 ポットのお湯をグラスに少し注ぎ、ティーバッグを浸す。
 少し濃いめに色が出たら、氷と少しの水を足して完成。簡易的アイスティだ。
「しっかし何で私なんかに付きまとってたんだろうか」
 小首を傾げながら葉子はスミカの対面に座った。行儀悪く、両足をソファに乗せた。
「葉子は隙だらけだからね」
「隙?」
 氷がカランと鳴って崩れた。
「自覚してないだろうけど、自由そうにふわわんとしてて、男も女も関係なく仲良く出来ちゃう、そういう感じ」
 うーん、と呻きながら葉子はソファに身体を横たえた。
 「隙」という言葉について考えたことはなかった。
「それって悪い事だろうか」
「悪くはないよ、別に。ただ、そういう隙だらけの女を好んで『俺が守ってあげたい』とか言う輩もいるって事だよ。中村君のように」
 葉子は大きな口を開けて一度あくびをし、伸びをした。
「隙を見せてるつもりはないんだけどねー」
 ガチャっと玄関の鍵が開く音がした。ドアから入ってきたのは健人だった。
 今日は午前中少しだけバイト先に顔を出すと言っていた。
 開いたドアからは湿った草木のような、雨の匂いがした。
「お帰り健ちゃん」
「お帰り」
「ただいま。女子会?」
 ソファに集う女子二人に尋ねた。
「健ちゃんも一緒にどう?あ、アイスティ入れてあげるよ」
 葉子が立ち上がろうとすると、「私がやる」とスミカが制してキッチンへ向かった。
 葉子が一人でソファを占有しているので、自動的に健人はスミカの隣に座る事になり、足元に鞄を置いた。
「雨、結構降ってた?」
 健人のポロシャツの肩には、雨に濡れた形跡があった。
「強くなったり弱くなったりって感じかな。兄ちゃんは?」
 スミカがアイスティと一緒にタオルを持って来た。健人は「ありがと」と言って肩を拭いた。
「デートじゃない?朝早くに出かけて行ったし、お昼もいらないって」
「兄ちゃん、彼女いるんだな」
 スミカがいれたアイスティーをコクリと飲んだ。「おいしい」とスミカを見て微笑む。
 兄と葉子のやりとりを見ていて、健人は兄が葉子に惚れているのではないかと考えていた。
 葉子をライブに誘ったり、葉子の部屋に入って行ったり、些細な事で痴話喧嘩したり。
 だがそれは思い違いで、兄には付き合っている人がいるという事を知り、少し、安堵した。
「健ちゃんもさぁ、いい男なんだから、そろそろ彼女を紹介してよ、私らにさ」
 葉子はドヤ顔で健人に言うが、健人はスミカを見て「葉子って彼氏いるんだっけ?」と訊いた。
「いや、いないと思ったけど」
 スミカはニヤニヤしながら葉子を見遣った。
「つーことは、葉子も早く、彼氏紹介してよ、俺らにさ」
 したり顔で言う健人に、葉子はべーっと舌を出した。
「私みたいな平々凡々な顔つきの、平々凡々な性格の女に、そう簡単に彼氏なんてできませんよーだ」
 膨れっ面の葉子を見て、その可愛らしさに健人の胸が高鳴った。
 決して口には出さないが、葉子を自分の物にしたい願望が、徐々に膨れてきている。
「ただいまー」
 鍵が開く音とともに、晴人が帰ってきた。
「あれ、早いじゃん」
 葉子がソファから身を乗り出して声を掛けた。
「うん、ちょっと色々あって」
 速足で洗面所に入った晴人は、「朝は降ってなかったのにな」と言いながら濡れた頭をタオルでごしごしと拭いていた。
「え、傘は?」
 スミカが怪訝な顔をすると「持って行かなかった」と答えたので三人は呆れかえった。
「梅雨を馬鹿にし過ぎだ。三つ指ついて梅雨に謝れ」
 そう言う葉子に「そこ半分どけ」と言って、葉子の隣にドスンと座った。
「お昼、俺の分も作れそう?」
 スミカに訊くと「大丈夫」とキッチンから返事があった。
「スミカ様に謝れ」
「葉子が言うな」
「弁当買ってこい」
「だから葉子が言うな」
 ボカスカとグーで叩き合ったりじゃれ合ったりしている様子を健人は暫く眺め、すくっと立ち上がった。見ていられなかった。
「部屋、戻るから。昼飯出来たら呼んで」
 無表情でその場を立ち去った。その様を葉子と晴人は茫然と見ていた。
「何か、悪い事した?」
「仲間に入りたかったんじゃない?」
 小声でひそひそと身体を寄せ合って話をしているその二つの背中もまた、健人は見るに堪えなかった。
 兄ちゃんが、俺達の平凡な暮らしを変化させつつある。俺のささやかな幸せを、奪いつつある。彼女がいる、兄ちゃんが。





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