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もうひとつの心臓
【大人 恋愛小説】

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20 志保-2

「志保ちゃーん」
 中庭でバレーボールをやる一団の向こうから、鈴宮君がビニール袋を提げて手を振っている。手を振りかえすと、こちらへ走ってきた。
「はぁ、この前の、通しの時のお礼ね」
 息を切らせながらそう言うと、紙パックのいちご牛乳をビニールから取り出し、私に手渡した。
「ありがとう」
 まだ自動販売機で買って間もないのであろう、心地良く冷えていた。
「志保ちゃんはいつもカフェで甘い物飲んでるから、それを選んでみた」
「いちご牛乳、好きだよ」
「それは何よりで」
 鈴宮君は芝生に座る私の隣に「失礼」とひと言投げてから腰かけ、紙パックのコーヒーにストローを挿して飲み始めたので、私もいちご牛乳にストローを挿して飲んだ。
 甘ったるい苺の匂いが口の中に広がる。

「俺ね、彼女と別れようと思ってるんだ」
 鈴宮君の意外なひと言に、私は目をパチクリした。「そんな顔しなくても」と鈴宮君は苦笑いを見せた。
「前に志保ちゃんに言われた言葉、あれは効いた。俺は彼女達を傷つけてるって」
 あぁ、私は酷い事を言ったと後悔していたが、結果的には良い方向に進むんだろうか。先を促すように「ん」と頷いた。
「人を好きになるって、俺は今まで経験が無いんだ。好かれる事はあっても、自分が好きになる事って無かった。それが今、『好きだな』って思える人が出来て」
 目の前では白いバレーボールがポンポン跳ねている。地面に付くたびに複数の「あぁぁ」という落胆の声が聞こえる。
「良かったじゃん。大事な事に気づく事が出来て。人を好きになるって、結構な覚悟が必要だよね」
 9月の風が木を揺らし、木漏れ日が左右に揺れる。いちご牛乳をもうひと口、飲む。
「志保ちゃんみたいに、1人の人を『好きだっ』って思ってるのは凄いなと思うよ」
「好き、ねぇ」

 好き、という言葉に何か違和感を覚えた。
 私は明良の事が好きで一緒にいる筈だ。だけど明良の事が好きなのかと今一度、良く考えてみると、素直に「好き」と言えない自分がいる。
 一緒にいなければいけない「使命」がある、と自分を雁字搦めにしているのではないか。頭の片隅で、冷静な自分がそんな警鐘を鳴らす。
「明良とはね、中1の頃にはもう、セックスしたの」
 私のカミングアウトに鈴宮君は面食らった様子だった。
「明良も私も、親を知らないんじゃなくて、親に捨てられた、それに捨てられた記憶も残ってる。2人とも同じような境遇で育って、自分の足りない部分をお互いが補い合って生きてきたの。だから、好きとか何だとか、そういう言葉で表すのが難しい関係なんだ」
 重たい話をしてしまって少し後悔した。だけど鈴宮君は「うん、うん」と誠実なしっかりとした目で頷いて聴いてくれた。
「施設の人に迷惑を掛けないように、夜はすぐに寝たふりをして、誰もいなくなってから母を想って泣いてたの。毎晩。その度に明良が抱きしめて背中を擦ってくれてたの。小学生の時ね。そんな頃から、お互いに触れる事に慣れてたし、お互いの思う事が手に取る様に分かるようになってた」
「そこにいて当たり前の存在なんだね」
 鈴宮君の瞳が少し淋しげに揺れた。
「じゃぁ乱暴されるのも、相手の気持ちが分かるから、許しちゃうって事か」
「そうだね、その通り」
 私は潔く頷いた。
 暫く沈黙が流れた。バレーボールは明後日の方向へ飛んでいき、ゲラゲラと笑う声が中庭にこだまする。何がそんなに楽しいのか。

 鈴宮君は両手を頭の後ろにやって芝生に寝転んだ。
「俺にはわかんねーなー。いや、そう簡単に分かる訳もないんだけどさ。それでも大切な女の子に傷を負わせる程、暴力を振るうってのぁ、俺には理解できない」
 業務開始5分前のチャイムが鳴った。
「変な話聞いてくれてありがと。何か鈴宮君って優しいから、何でも話せちゃうな」
「俺は彼女と別れる、とここに誓う」
 よっこらしょ、っと立ち上がり、強くそう言う鈴宮君に、今までに無い強さを見た。
 微笑みながら私も立ち上がると、目の前が青くなり頭がグラリと揺れた。
「ちょ、大丈夫?」
 冷や汗が湧きあがってくるのが分かった。頭の奥がずきずきする。胃がせり上がって口へ近づく様な気持ちの悪さ。
 暫く鈴宮君に寄り掛かっていたが、そのうち目の前が色を取り戻した。
「ごめん、ちょっと最近体調が悪くて」
 鈴宮君に付き添われるような形で居室に戻った。体調が悪くなり始めて2週間は経つ。
 まさかとは思うけれど――。


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