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もうひとつの心臓
【大人 恋愛小説】

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19 令二-1

「おはようさん」
「おはよう。土曜はお疲れ様」
 ちらっとこちらを見遣り、またすぐにPC画面に視線を戻す。カチカチをキーを押す指が忙しなく動く。
 志保ちゃん、また長袖の白衣を着ている。それに、内側から覗く長袖シャツの袖口。
 暑くないんだろうか。居室が冷えるんだろうか。
「冷房、キツかったら温度上げようか?」
 操作盤がある出口付近へと足を進めると、志保ちゃんは顔を上げて振り向いた。
「いいからいいから。寒くないから。着こんでるし」
 いや、着こんでるしって――長袖着て会社に来たんだろうか。

 隣のデスクに腰掛けて、鞄を引出しに仕舞う。PCを立ち上げている間にコーヒーを淹れる。ドリッパーから立ち上る湯気を見ていた。
 俺もこのクソ暑い中、ホットコーヒー飲んでるんだもんな。そういう人間も中にはいるんだよな。ドリップされたコーヒーを零さないように慎重にデスクに運ぶ。

 週末に出た生データをPCに打ち込んでいく。隣では同じような作業を行っている志保ちゃんの手元から、カチカチとキーを叩く音がして、時折中断し、またカチカチと音がする。
 中断が定期的だな、と思い、横目でチラっと志保ちゃんを見た。中断した瞬間に、白衣の中の袖口を、ぐっと引き上げていた。
 気付かれないように横目で見ていると、またキーを叩く手を止めて、袖口を引っ張る。何か、見られたくないアクセサリーでもつけてるんだろうか。あの彼から貰ったアクセサリーとか?

「おはよー」
「あ、おはようございまーす」
 鈴木さんが眠たげな目をして居室に入ってきた。「土曜はお疲れ様でした」と言うと「おう、買い出しありがとうな」と通り様に俺の肩を叩いた。
「今日のミーティング、俺会議入っちゃったから、個別に進捗訊くから。」
 俺の尊敬する鈴木さんは、仕事面では勿論、社員の声を集約する場、労働組合でも人々に尊敬される立場にある。あんな風に人望のある人物になりたい。俺はそう思っている。
「志保ちゃん、今大丈夫?」
 脚にキャスターがついている丸椅子を俺と志保ちゃんの間に転がしてきて、鈴木さんが座った。
「はい、あの今データ打ちこんでる途中なんで、生データになっちゃうんですけど――」

 2人がミーティングを始めた。俺は自分のデータ入力を続けていた。今回はなかなかイケそうな雰囲気だ。
 このデータなら、鈴木さんから「いいんじゃないの?」って言ってもらえそうだ。あとはこの辺をグラフ化して――。
「あれ、どうしたの、その手首?」
 鈴木さんが抑え目な声だけど驚きを隠せない様子で言った。志保ちゃんの他には俺にしか聴こえない位だったと思う。
「あぁ、これ、怪我です」
 鈴木さんの身体のせいで様子は見えなかったが、聞こえた声には同様の色が伺えた。
 きっと長袖の袖口でまた隠したのだろう。
「志保ちゃんの綺麗なお肌に痕がついちゃったら大問題だよ。気を付けてね」
「あ、はい。ありがとうございます」

 アクセサリーなんかじゃなかったのか。傷を隠していたのか。
 前にもあった。口元の傷。二の腕に付けられた痕。
「彼氏と喧嘩」って言ってたっけ。彼女に傷を負わす程の暴力を振るう彼氏って、どうなんだろう。
 いや、今日の手首の傷(まだ見ていないが)が彼氏によるものなのかどうかはまだ分からないが。
 一瞬、あの張り付いたような宮川という男の笑顔を思い出す。

 俺は近頃、自分では見て見ぬ振りをしている感情がある。
 どうやら俺は、志保ちゃんに惚れているらしい。

 彼氏がいる事は分かっている。だから表には出さないが、惚れている。
 俺は小学校の頃から女の子に人気があった。自分から言い寄らなくても、気に入った女の子は自分に寄ってくる。
 そのうち、俺の性格は捻じ曲がり、俺に好意を向けてくる女の子を片っ端から好きになるようになった。
 何が言いたいかと言うと、俺から惚れた事が1度も無いのだ。今付き合っている彼女3人だってそうだ。
「付き合って」と言われ、容姿だって中身だって悪くなかったからオーケーしたまでた。惚れた訳ではない。
 断って相手を傷つけるより、受け入れて相手を幸せな気分にさせてあげたい。それが今までの俺のやりかただった。
 そんな俺が今、志保ちゃんに惚れている。
 だからこそ気になるんだ。彼女に付けられる幾つかの傷跡。
 身体に付く傷跡はいずれ消えるかも知れない。
 だけど、身体に付くと同時に心にも傷を負っているのではないか。それは癒えるのだろうか。




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