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バベルへの弔詞
【純文学 その他小説】

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バベルへの弔詞-3

絶望の日々は始まった。
あくる日の夕方、姉はボロボロになって帰ってきた。大粒の涙を流し、悲しみと絶望に表情を歪ませ、あの男の名前を呼んで泣いた。
「お金を、渡したの。どうしても、いるって言ってて」
しゃくりあげながら彼女は語った。
「すぐに返すって、言って。でももうどこに居るのか判らないの。どうして?お金なんてどうでもいいのよ、帰ってきて欲しいの、ねぇどうして!?」
――それは裏切りだった。
僕は再び自分の無力さを知る。また何も言えないのだ。
「やっぱり駄目なのよ。罪人は幸せになる権利なんか無いんだわ」
僕は悔しかった。なぜ果穂がこんな目にあわなければならないのだろう。何故僕は何も言ってやれないのだろうか。
彼女は逆境に屈し易かった。先祖のどうこうは、以前母親にチラと聞いた事があったが、そんなに気に止めるような内容では無かった。しかし果穂は自分の不幸の原因に、部落差別を植え付けた。
きっと理由なんて何でもよかったのかもしれない。
「運命なのよ・・・」
弱弱しく呟かれたその一言に、僕は背筋を凍らせた。

 僕はもう一人の僕に会うために暗闇の中で目を閉じた。
『やあ、良。また会ったね』
彼の声は頭の中に響いた。夢のくせに妙にリアルで生々しかった。但し何故か今日は僕が言葉を発する事が出来なかった。彼はそのまま喋り続ける。
『僕はいつも君を見てるよ。君の欲しい言葉も全部持ってる』
『でも、言葉なんて気休めに過ぎない。だから答えは良、自分で探すんだ』
『今お姉さんに一番必要な物は何だい?』
『運命が怖いかい良、この世に運命なんか無いんだよ。あってもそれは必然を振り返って一括りにしたこじつけにすぎないんだ。』
彼はそう告げ僕の前から暗闇を消した。
僕は朝日に目を眩ませて暫くその場から動かなかった。

      ――壊滑――

 果穂の怯えようはいつにも増して酷くなった。
TVの前に物を置くのでどかしてくれと意見をすると、「駄目よ。これはTV内の監視カメラを遮る為の物なんだから」と反論した。果穂の自己暗示は日に日に酷くなり、「生活の細部まで筒抜けなのよ。皆私達を見張ってるのよ。私達は恐ろしい子供なんですから」と哀しそうに告げた。彼女は世界中を敵に回してしまったのだ。
予想外だった。ここまで重いものだとは思わなかった。彼女はすっかり病んでしまったのだ。
人間が壊れてしまうのがこんなに簡単な事だとは思わなかった。
 そんな時、二週間ぶりに父親が帰ってきた。
僕は姉さんの事を話したかった。独りで考えつづけるのにも限界があったのだ。けれど、どうだろう。何て話せばいい?父さんは何も知らない。そうやって何から打ち明ければいいものか試行錯誤してる内に、姉さんが父さんと接触してしまった。
「お父さん、私の鞄知らない?昨夜から見当たらないの」
「知らないよ」
「でも本当に無いのよ、お父さんが帰って来てから。どこを探しても」
果穂は本当に些細な不幸に敏感になっていた。そして彼女が父親に対して放った精一杯の皮肉に、僕はついに絶望の兆しを感じたのだ。
「お父さんは、お芝居がお上手ね」

その夜も僕は声を殺して泣いた。
姉さんの言葉に、僕は少なからずも家族の崩壊を見い出したのだ。姉さんは何も信じられなくなったのだ。もしも僕のことまで信じられなくなってしまったら、彼女はどうなってしまうだろう。きっともう二度と戻れない。その前に、僕はどうなってしまうだろう。もし彼女が離れていってしまったら今度こそ僕は孤独じゃないか。僕も果穂も双子だけど別々の人間で、やっぱり姉弟なのだ。
僕は怖くなった。傍にいると判るのだ。どんどん彼女は遠ざかって行く。誰かが何かする前に、彼女の心は手の届かない場所へ飛んで行ってしまうのだ。そんなの見たくない。
暫く、離れよう。
――先に逃げたのは僕の方だった。


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