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バベルへの弔詞
【純文学 その他小説】

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バベルへの弔詞-2

――立ち直ったかのように見えた。果穂は専門学校に進み、僕は留学に向けて再び勉学に励んだ。彼女も上手くやっているようだった。クラスメイトの男子と付き合うようになったと言って、外出が多くなった。僕も相手に何度か会ったが、果穂と凄く気が合うようだったし真面目で誠実そうな雰囲気の青年だったので、心配する要素も無く、特に干渉はしなかった。
「良、今日帰りが少し遅くなるかもしれないんだけど平気?」
「うん、僕は平気だよ。どこ行くの?ああ、高田さんと?」
「そう。映画の約束してるの」
「判った。いってらっしゃい」
「ありがと」
数ヶ月前、この世の終わりのような表情を浮かべていた彼女に比べれば十分すぎる程元気になったと思う。多少ハメを外しても、姉が幸せそうならばそれでいい。口に出さずとも僕はそう思っていた。
真実を知ったのは、そんな時だった。
 僕は試験に追われていた。
「良、本当に留学するの?」
珍しく姉の方からそんな話を持ち出され、僕は一瞬あっけにとられた。受験騒動があってから、僕はなるべく進学系の話はなんとなく姉の前では控えていたのだ。
「・・・そうだよ」
「やめた方がいいわ」
「どうしてさ?」
僕の決めた事だけはどんなに周りが反対しようと尊重してくれてきた姉にしては珍しい意見だ。
「言ったじゃない。私達のご先祖様は悪い事をしたって」
「・・・え?」
僕は話の意図が読めず暫し呆然とした。
「だからね、私達は決して目立ってはいけないの。いいえ、そんな事世間が許さない」
「・・・姉さん?話がよく」
「私が大学に行けないのもその所為よ。良はよかったわね、スポーツを目指していたら今ごろきっと私のようになっていたわ」
重い表情でそう語る姉を見つめながら僕はまだその真意を掴めずにいた。
「おかしいと思ったの。私はいつだって一生懸命なのに一度だって報われた事がないんだから。当たり前よね、仕組まれているんだから。私達は罪を背負っている限り決して日の目を見る事なんて出来無いんだから。そういう運命なんだから!」
――果穂は泣いていた。吐き捨てるような口調で絶望を語った。口を開く度に溢れ出す暗闇に自らを巻き込んで狂っていく彼女の姿を、
僕はただ見つめた。どこか夢心地だった。半狂乱になった姉が走り去ったリビングで、僕は暫く暗闇を見ていた。
――何が起こった?
頬を伝う涙の冷たさで僕はやっと現実を見た。僕は知ってしまった。この数ヶ月の中で独り彼女が狂信し、恐怖と絶望の果てに生まれ根付いた、
彼女の闇を。

      ――暗闇のサナトリウム――

 僕は泣いていた。真っ暗な部屋で膝を抱え、頬を伝い流れる涙も拭わず、ただ声を押し殺して。夕闇は辺りを暗く染め、全てを闇で覆い隠そうとしていた。僕は闇を受け入れ、目を閉じた。
ただ恐怖に震えた。
姉が恐ろしかったのではない。
何かが音を立てて崩れ去ったようで怖くて怖くて堪らなかった。
姉の泣き顔が心を締め付けた。彼女の言葉の真意はともかく、幸せそうに見えた彼女が未だ絶望を抱えたままだったという事実が、僕の中に酷い衝撃を与えたのだ。頭の中には混乱しか無かった。
(誰か助けて)
底なしの闇に叫び落としたその悲鳴に、言葉を返す者など居ないはずだった。
『良』
それは彼だった。
それが僕と彼との出会いだったように思う。彼はただ僕の名を静かに呼んだ。
気が付くと僕は暗闇の中に居た。声の主を探そうと、僕は必死に辺りを見回したが、誰の姿も確認出来なかった。
『良、探したって僕は居ないよ』
(君は誰?)
『僕は君。でも君は僕じゃない』
(よくわからない・・・)
『良。絶対に負けてはいけないよ』
 声を最後に目の前からは闇さえ消えうせ、僕は無に還り現実に戻ってきた。窓からは朝の光が射し込み、頬に残った涙の跡はすっかり乾いていた。
 その日朝食を共に囲んだ姉は、いつもと変わらぬ調子だった。ただ、僕らは口をきく事が無かった。
それは僕が現実を受け止めるには十分過ぎる現実だった。


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