非線型蒲公英 =Sommer Marchen=-53
「頼む、宍戸…」
「…絶対に嫌です」
――ヘクセンを妃依から預かり、すぐさまヘクセンを振ってみた美咲だったのだが、
「あの…メイドさん、何も起こりませんが…？」
メイドさんを振ればこの事態が解決する!! と、完全に信じ切っていた美咲は、落胆した様子で手の中のヘクセンに問うた。
『むむッ!! これは…!! 非常に悔しいんですが!! この姿のままでは、やはり…マスターにコマンドを入力して頂かないと、うまく機能を引き出せないみたいですねぇ!!』
――と言う事で、美咲は再び妃依に懇願する事にしたのであった。
「…また、あんな事をする位なら…いっそ死んだ方が…まだマシかもしれません」
フ…と翳った笑みを浮かべる妃依。
「し、死ぬほど嫌なのか」
『またまた大げさな!! 嫌々ながらも、意外と乗り気のクセに!! マスター!!』
「…ヘクセンさん…マンホールと、公衆トイレと、空缶用のゴミ箱…どれがいいですか」
『な、何ですか!? その、暗くてジメジメしてそうな場所の三択は!! また捨てる気ですか!? 気に入らなくなったらポイと!! これだから人間って…ッ!!』
「…あ…丁度いいところにポストが」
『何に丁度イイって言うんですか!? 甚だしく不吉ですね!!』
「そんなに嫌か…宍戸」
『コマンド入力』とやらを、あからさまに拒絶している妃依の様子に、美咲は、それは一体、どんな苦痛を伴う行為なのだろうか…という事を道々想像していた。
不毛な問答を繰り返しているうちに、妃依と美咲とヘクセンの三人は、遊佐間宅に到着していた。
「…着いちゃいましたね」
「ああ…もう、ここまで来たら開き直るしかないな」
「…そもそも、別の格好で帰ったら、琴葉先輩に何をされるか解りませんし」
「そ…そう言えば、そうだったな…」
後輩の言葉に怯みつつも、似非巫女雇われメイドは玄関ドアに手を掛けた。
「ただ今帰りま…し、た」
美咲は少し扉を開くと、ドアノブを握った格好のままで固まってしまった。
「…どうしたんですか」
「何やら…妙な匂いがする」
屋内に薄く広がる――出かける前は無かった――異臭に眉を顰める。
「…え…あ、ホントだ…何でしょうね…酸っぱい様な…」
『この匂いの原因は…ズバリ胃酸ですね!! アアッ!! こんな姿になってもハイスペックな自分を褒め称えてあげたい!! むしろ誰か褒め称えて!!』
「胃酸…？ という事は…つまり…」
暴走気味なヘクセンの発言から、重要な部分だけを拾い、一つしかない可能性を思い浮かべた美咲は、さっと素早く自分の鼻と口を巫女服の袂で覆った。それに習い、妃依もハンカチで鼻と口を覆う。
『これは!! 誰かが、飛び散ったもんじゃ焼きの様な『アレ』をブチまけたんでしょうね!! きっと!!』
もはや言うまでも無い事を、あえて口にするヘクセン。
「…最悪なイメージですね」
ヘクセンの一言の所為で、脳裏に明確な映像が浮かんでしまった妃依は小さく呻いた。
「む…アレは」
廊下中に漂う吐瀉物（と思われるモノ）の匂いに、前へと進む意志を削がれ、廊下に立ち尽くしていた美咲は、ふと『あるモノ』を視界に捉えた。
「宍戸、あそこは…浴室だろうか」
「…え、はい、そうですけ…ど…」
美咲の指す方に目を向けた妃依も、『それ』を目の当たりにしてしまった。
「…何ですか、あれは…足…ですか」
「足、だろうな」
二人が共に見つめる先――半開きになった浴室入り口の扉からは、何者かの足がはみ出していた。