性そして生命-5
塚田のメモを頼りに訪れた慶子のアパートは、想像したよりもずっと古くてこじんまりした建物だった。
会社には風邪をひいたと嘘をついて休みをとった。
慶子に直接会って話をしたいというのが一番の理由だったが、いずれにしても今はとてもTデパートのフロアに立てる気分ではなかった。
錆び付いた鉄製の外階段を登って205号室の前に立つ。
表札も何もない殺風景な扉。
この扉を開けて一人ぼっちの部屋に帰っていく慶子の姿を想像すると胸が痛んだ。
生活費などはどうしているのだろう。
ちゃんと食べているのだろうか。
時刻はちょうどお昼をまわったところだったが、仕事も辞めたという身重の慶子が、どういう生活を送っているのかはいまいち想像がつかなかった。
チャイムを押しても、ドアスコープから姿を見られたら扉を開けてもらえないかもしれない。
そうなれば、慶子はそのまま二度と会えない場所へ逃げて行ってしまいそうな気がした。
―――どうしても会いたい。
どうすれば会える?
自分でも戸惑うくらい急激に、三田村の中で慶子を失う恐怖感が膨れ上がっていた。
そわそわと辺りを見回したその時――――不意に外階段の方からカン、カン、という乾いた音が聞こえた。
ハッとして振り返ると、小さな買い物袋を下げた慶子が、ちょうど階段を上がって来たところだった。
「……し…真…ちゃん…?」
「―――慶子!」
目が合った瞬間、慶子の顔に激しい動揺が浮かんだ。
慌てて逃げようとする背中に駆け寄り、無我夢中で腕をつかんで引き止める。
「―――慶子っ!」
買い物袋がドサッと落ち、ぐしゃりとタマゴのパックが潰れる音がした。
ドキッとするくらい痩せ細った肩。
それとは裏腹に下腹部が少しふっくらし始めているのがわかる。
なんとも言い難い感情に胸が締め付けられたが、恐れていたような嫌悪感は湧いてこなかった。
こんな痩せっぽちの身体で、一人ぼっちで、初めての赤ん坊をどうやって育てていくつもりだったのだろう。
「おま……んなとこで……なにしてんね……ん……」
思わず口をついて出た言葉の語尾が不自然に震え、涙が溢れて言葉が続かなくなった。
「……真ちゃん……ご……ごめ……」
俯いたまま涙声で答える慶子。
小さな肉体に染み付いた悪夢のような記憶に、目の前の慶子を内側から破壊されてしまいそうな焦燥感に駆られ、三田村は思わず慶子を強く抱き寄せた。
「……わた…私……もう真ちゃんとは………」
お腹の膨らみを悟られまいとするように、慶子の小さな手の平が三田村の身体を押し返そうとしてくる。
『頼むから逃げんな。逃げんといてくれ―――』
胸の奥から何か熱いものが込み上げてきて、全身になんとも言い知れぬ気力がみなぎってくるような気がした。
「もう――――いらん心配すんな」
きつく抱いたら折れそうな細い身体。
その中にびっしり詰まった負の感情を、少しでも早く取り除いてやりたかった。
「い……一緒に育てたらええやん!」
「………えっ?」
突然の三田村の言葉に驚いて、慶子はバッと顔を上げた。
その表情には、三田村の申し出に対する喜びよりも、妊娠を知られていたことへのショックのほうがはるかに色濃くあらわれている。
「赤ちゃん、出来たんやろ?」
「……だ…誰に……聞いたん……」
みるみるうちに青ざめていく慶子の唇。
その不安と恐怖を拭い去ることが出来るのは、この世で自分しかいないのだと、三田村は強く己に言い聞かせた。