性そして生命-10
ぐったりとベッドに倒れた瞬間、枕元に置いてあった携帯電話が鳴った。
ディスプレイには上司である岡本の名前が表示されている。
「……は、はい……もしもし……」
嘘をついて休んだ上、つい今しがたまで快楽を貪っていた後ろめたさで、必要以上に弱々しい声になった。
『あ、三田村か?休んでるところすまん。―――風邪だと聞いたんだが―――明日は出られそうか?』
岡本のハキハキとした口調が、有無を言わさずいきなり三田村を現実に引き戻した。
「あ、あの……もう…だ、大丈夫です。ご迷惑おかけして申し訳ありませんでした!」
慌てて身体を起こし、頭を仕事モードに切り替える。
川瀬や辰巳と顔を合わせるのは嫌だったが、自分の中でケリをつけた以上、前に進むしかないのだ。
「――あの、明日はちゃんとシフト通り出勤します」
『そうか―――いや、実は明日………俺が出勤出来そうになくなってな』
「えっ?―――どうしはったんですか?」
三田村の知る限り、岡本が会社を欠勤したことは今まで一度もない。
なんとなく不穏な空気を感じ、三田村はその場で姿勢を正した。
『ああ、うん……実はな』
一瞬、電話の向こうの岡本が、言葉を選ぶような妙な間があった。
『――――ゆうべ……川瀬主任が……亡くなったんだ』
「………え………っ?」
いきなり鈍器で殴りつけられたようなショックで、頭が真っ白になった。
―――――死んだ?
―――――川瀬が?
唐突すぎる報せに、思考が全くついていかない。
『―――事故でな。車ごとK港の海に転落したらしい』
「…………K港?!もしかして……誰か……一緒だったんですか?」
すぐにあいりの顔が頭に浮かんだ。
『いや……車の中には主任一人だったらしい』
「あの―――ふ…藤本は?今日出勤してますか?」
『――ああ。確か出勤してたけど……直属の上司だし、かなりショックは受けてるだろうな』
岡本の言葉にとりあえずはホッとしたが、今の話だけでは川瀬の死にあいりが関わっているのかどうかは全く判断できない。
「せやけど………なんで……そんなことに……」
下手なことを口走らないように、会話に意識を集中させる。
『うん………飲みすぎて酔いでもさますつもりだったのか……あの人がそこまで泥酔するようなイメージはないんだがなぁ』
岡本の言う通り、狡猾で計算高いあの男が、こんな事故であっけなく命を落としたとは思えなかった。
それに、一人で夜の港に行ったという取って付けた様な行動も、不自然に感じられてしかたがない。
「……まさか……自……」
一瞬にして嫌な想像が膨らんだ。
昨日の川瀬の鬼気せまるような表情が頭をよぎる。
『―――身内は母親しかいないという話なんだが、ずいぶん前から消息不明らしくて………会社から簡単な葬儀を出すことになってな………』
岡本の声が、耳鳴りのように三田村の脳をうわんうわんとゆさぶる。
『………もしもし?聞こえてるか?―――三田村?』
足元がガラガラと崩れ落ちて、いきなり暗闇に放り出されたような喪失感が三田村を襲っていた。
『もしもし?―――それで、明日は俺はそっちの準備にまわるから、売り場のほうを頼みたいんだが…………大丈夫か?』
「えっ……は……はい……」
『急な話でこっちも今バタバタしてるから……また改めて電話する』
最後は早口で用件だけをまくしたて、岡本の電話はぷっつりと途切れた。
「―――――どうしたん?会社で……何かあったん?」
ただならぬ三田村の様子に、慶子が心配そうな表情でこちらを見上げている。
「あ……いや……」
慶子と目があった瞬間、自分の顔がひどく歪んでいるのがわかった。
「うん……あ……なんでもないねん。ちょっと店でトラブルがあったらしいねんけど……俺には直接関係あれへんことみたいやし……うん……大丈夫……大丈夫や」
出来うる限りの穏やかな表情を作って、三田村は慶子の肩を抱き寄せながら再びベッドに横になった。
「……少し――寝るか?疲れたやろ」
大切な身体が冷えないように、足元でくしゃくしゃになっている毛布を手繰り寄せてお腹の辺りにそっと被せる。
「………うん………」
慶子が三田村の肩に頭をつけて、そっと目を閉じた。
「―――真ちゃん。………ありがとう……」
独り言のような小さな声で囁く慶子の言葉に、鼻の奥がツンと痛くなる。
「……おやすみ……慶子……」
「おやすみ……真……ちゃん……」
言うべきだろうか。
憎むべきあの男はもうこの世にいないのだと―――――。
答えが出せないまま、三田村は慶子の小さな身体を、ただ抱きしめることしか出来なかった。
END