麻理-1
「坊主、これやるから外で遊んできな」
知らない男が俺にどぎつい色の飴玉を手渡した。
「………」
俺はその手を払いのけ、精一杯怒った顔でその男を睨みつけたが、男はそれを鼻で笑いながら、
「可愛いげのねぇガキだな」
と言い捨てて、俺の鼻先で玄関の引き戸をぴしゃりと閉めた。
小学四年生にもなって飴玉一つで騙されるほど、俺も馬鹿ではない。
俺はすぐに裏庭のほうにまわって、あらかじめ開けておいたカーテンの隙間から部屋を覗いた。
春先とはいえ、夕方6時をまわると外は結構薄暗かったから、明かりのついた部屋の中を覗くのには好都合だった。
居間のちゃぶ台で、母が男に瓶ビールを出しているのが見えた。
今日のように見知らぬ男がやってくる前日だけ母が必ず買ってくる瓶ビール。
学校から帰ってきた時、小さな冷蔵庫の中にこの瓶を見つけるたびに、俺はいつも不愉快な気持ちになるのだ。
ビールをついで立ち上がろうとする母の肩を男がぐいと抱きよせた。
『……やっぱり』
俺の心臓がキリキリと嫌な音をたてる。
いつもより濃いめの化粧をした母は、わざとらしい大袈裟なジェスチャーでじゃれるように男の腕の中に倒れこんだ。
父がいたころは決して着なかったような胸元の大きくひらいた服を着て、媚びるような下品な笑みを浮かべながら―――。
「……母さん……」
俺はガラスにへばりついて、二人を凝視していた。
これからはじまることへの嫌悪感と期待感で、俺の胸は激しく高鳴っていた。
母は、この男ともまたきっと「あれ」をやるのだ――――。
はじめて「あれ」を見たのは一ヶ月ほど前―――また別の男が家に来た時だった。
「大事なお客さんが来るから、7時まで外で遊んでてね」
父が突然いなくなり、母と二人でこの小さな平屋建てに引越して来て半年ほどたった頃から、母は決まって月に数回、俺にそう言うようになった。
家出した父の消息を知っている人が来るのかもしれない。今度こそは父が帰って来るのかもしれない―――始めの頃、俺はいつもそんな期待を抱いていた。
しかし何ヵ月たっても父が帰る気配はなく、周りの大人たちはご親切に「お前の父親は若い女を作って逃げたのだ」ということを教えてくれた。
父の消息と無関係だというのなら、「大事な客」とは何なのだろう。
少なくとも父が家にいたころはあんな客が家を訪ねて来たことは一度もなかった。
家に来るのはスーツ姿の紳士だったり、作業衣姿の肉体労働者風だったりと様々で、そのことにも俺はなんとなく違和感を感じていた。
そしてついにあの日、俺はたまたま開いていたカーテンの隙間から覗いてしまったのだ。
薄暗い部屋で、男と母が裸になってうごめいている異様な姿を―――。