嫉妬と誘惑-1
フロアの主電源が落ちる音がした。
照明が薄暗い非常灯だけに切り替わり、BGMがふっつりと途切れると、フロアは突然息苦しいような静寂に包まれた。
メンズフロアの一角にある黒い皮張りのソファーセット。
その小さな空間は、落ち着いて接客が出来るようにと敢えて周囲から隔離するようなレイアウトに作られている。
こじんまりしたソファーの上に並んで腰を下ろした理可と三田村の間には、なんともいえない濃密な空気が漂いはじめていた。
「……悪いわね。残ってもらって……」
いつも仕事で見せているきついキャラクターを意識的に抑え、理可は甘い声で囁いた。
程よくスプリングのきいたソファーの坐り心地が、いやがうえにも卑猥な妄想を掻き立てる。
「……いえ、大丈夫です。僕でお役に立てることなら喜んでやりますよ」
ニコッと微笑みながらぺこりと頭を下げた時、三田村の身体から微かに香水の香りがした。
いかにもこの青年らしい爽やかな香りだったが、彼のようなタイプの男が香水をつけていること自体がちょっと意外な気がして、理可は一瞬ドキリとさせられる。
「……この香り……アクアデジオ……?」
「バイヤーさすが……ようわからはりますね」
銘柄を言い当てられ、三田村は素直に驚いた顔を見せた。
「僕はこういうの疎くて……全然わからへんのですよ」
恥ずかしそうに頭を掻く三田村。
その無防備な感じがなんともいえず初々しくてつい微笑んでしまう。
本当に……なんて純粋で真っ直ぐな男なのだろう。
「でも接客中に汗臭いんはまずいんで……人に選んでもらったんです」
『……選んでもらった……』
理可の脳裏に藤本あいりの顔が浮かんだ。
藤本あいりとこの三田村ならばきっと爽やかなお似合いのカップルに見えるだろう。
川瀬の寵愛を受けながらこういう幸せをも手に入れている藤本あいりが、理可はますます疎ましく憎く思えて仕方がなかった。
川瀬に弄ばれて全てを失ってしまった自分とは、なんという違いだろうか………。
藤本あいりから決定的な何かを奪ってやらなければ、この苛立ちはおさまりそうにない。
『……絶対にこの男を……骨抜きにしてやるわ……』
理可はさりげなく腰をずらして三田村に身体を密着させると、社用封筒から使えそうな書類を適当に取り出した。
「……新しい企画のことで、現場の意見が聞きたいの……この資料見てくれる?……」
「はい……じゃ、失礼します」
「ん……これなんだけど……」
肩と肩が触れるくらいの距離まで近付きながら、理可はわざと前屈みになってキャミソールの胸元を三田村の方へ見せ付けた。
三田村の視線の高さからは、理可の肉感的な胸の谷間がしっかりと見えるはずだ。
しかし、理可の指示に何の疑いも抱いていない三田村は、その誘惑には目もくれず真剣な面持ちで手渡された資料に目を通し始めた。
女の身体に興味がないはずはないのに、知らぬふりを決め込んでいる三田村のスカした態度が気に食わない。
『……フン……無理しちゃって……』
理可はあらためて目の前の獲物をじっとりと眺めまわした。