性奴隷-1
「メンズ課バイヤー石原理可」
ピンヒールの踵がPタイルの床を小気味よく鳴らすたび、首から下げた社員証が大きく開いたスーツの胸元で揺れている。
あの人に逢える――。
そう思っただけで、理可は己の肉体全てが燃えるように欲情するのを感じていた。
長い歳月の間に身体中に刻印されてしまった淫靡な交わりの記憶。
それは決して薄れることはなく、いつでも生々しく身体の細部にまで蘇ってくる。
今すぐ……一秒でも早くあの人に抱かれたい―――。
婦人服フロアでその男の姿を見つけた時、理可はすでに太ももまでべっとりと濡らしてしまうほど欲していた。
フロアの角に立ち、穏やかな表情で行き交う女性客に頭を下げているその男の横顔。
何も知らない平和な羊たちの群れの中で、恐ろしい企みを抱いて身を潜める悪魔のような野獣―――。
理可は吸い寄せられるように男の元へ歩み寄った。
「川瀬主任。お久しぶりです」
「――ああ、石原か。――久しぶりだな」
二ヶ月ぶりに会ったというのに川瀬の表情は憎らしいくらいに動かない。
理可が今どれほど切実に川瀬を求めているのか本当は手に取るようにわかっているくせに、川瀬はわざとはぐらかすような冷静な顔ですぐに視線をそらしてしまった。
『……私をこんな風にしておきながら…ひどい人……』
8年前―――理可は新入社員として川瀬の下に配属された。
並外れた美貌とプロポーションを兼ね備えていた理可は、入社してすぐに川瀬のセクハラの餌食になった。
初めは激しく抵抗しながらレイプ同然に奪われた理可だったが、川瀬の肉体の虜になってしまうまでにさほど時間はかからなかった。
一見派手な外見に反して、実は男性経験が少なかったことがかえって理可をのめり込ませたのかもしれない。
配属から2ヶ月が経つころには、理可は川瀬の従順な性奴と化していた。
それ以来理可は、川瀬なしでは生きていけない身体になってしまったのだ。
「少し……お時間よろしいですか」
理可の意味ありげな視線に、川瀬は一瞬嘲りともとれる冷笑を浮かべる。
「……ああ…かまわないが……」
フロアを見渡し、少し離れた場所でディスプレイの手直しをしている女子社員を軽く手招きで呼び寄せた。
「藤本……ちょっと……」
「――はい」
小走りにこちらに近づいてきたその清純そうな女子社員は、胸に「実習社員」のバッジを付けている。
今年入社したばかりの新入社員なのだろう。
理知的で真面目そうな美しい顔立ちは川瀬の好みのタイプだ。
この女が今、毎日のように川瀬に身体を求められ、あの身も心もとろけるような愛撫を一身に受けているのだろうか―――。
そう思うだけで理可の胸は嫉妬の炎で焼け付いてしまいそうだった。
『―――あんたみたいな小娘……すぐ飽きられるに決まってるわ……』理可は意識的に敵意のこもった視線であいりを睨みつけた。
「バックで石原バイヤーと話してくるから……売り場を頼む」
「はい。かしこまりました」
素直に頷いたあいりは、理可にも視線を合わせ、こだわりのない微笑みでぺこりと頭を下げた。
『……なに…このコ……』
川瀬が女性とバックルームで二人きりになるということが何を意味しているのか、川瀬と関係をもった女ならばわからないはずはない。
しかし目の前の女からは、理可に対する嫉妬や憎しみは微塵も感じられない。
そればかりか、あいり自身にも堕ちた女独特の頽廃的な雰囲気は全くなく、不思議なほどの清潔感が漂っていた。
―――川瀬はもう女をおもちゃにして玩ぶのをやめたのだろうか。
3年前の人事異動で理可はメンズ課のバイヤーに抜擢され、川瀬の元を離れることになった。
いや―――正確に言えば理可は川瀬に飽きられ、体(てい)よく捨てられたのだ。
ある日、川瀬の指示で何も知らされないまま当時の人事部長との食事に同席させられた理可は、その夜のううちに部長との肉体関係を強要される。
理可はバイヤーというポストと引き換えに、人事部長に身売りさせられたのだ。
全て川瀬が画策したシナリオだった。