続・聖夜(前編)-1
「…見よ、おとめが身ごもって男の子を産む…。その名は、インマヌエルと呼ばれる…」
(マタイによる福音書 第一章二十三節より)
ほんとうに、彼女は、ここでオーロラを見たのだろうか…。
看護師のユキオは、艶やかな黒髪を肩に伸ばした彼女の美しい横顔の中にある瞳を、まるで深い
湖の底に吸い寄せられるように見つめていた。
白い靄に包まれたユキオの前の視界がすっと広がる…。深い藍色をした湖が、森閑とした静寂の
中で、淡い黄昏の光を静かに湛えていた。穏やかな光に染められた湖畔のまわりは、瞼に滲むよ
うな白い雪で覆われた山々で囲まれ、オレンジ色に煌めく小雪が微かに舞っていた。
彼女は、その風景を食い入るように見つめながら、小さなため息をつき、麗子という彼女の母親
の話を終えた。彼女の澄みきった空虚な瞳の中には、切なすぎるほど冷たい色が溶け込んでいる。
三十六歳になった彼女が、このサナトリウムに入院してからそろそろ三年がたつ。
彼女がどんな過去を背負い、ここに入院をすることになったのか…ユキオは、その理由を知らな
かった。
彼女の母親も、彼女と同じ精神的な病気でここに入院していたらしいが、最後は癌で死亡したと
いう。ユキオは、このサナトリウムで、クリスマス・イブの夜に両親を亡くしたという彼女の話
を聞きながら、瞼の裏がかすかに熱くなってくるのを感じていた。
ユキオは、彼女の肩を抱き寄せながら、サナトリウムの近くにある教会の前庭に佇んでいる。
雪に包まれた山々と沈黙に沈んだ湖は、雲の間から射してきた薄い残照に果て尽きるように、深
い薄紫色に染まり始めている。
煉瓦色の小さな教会の十字架に飾り付けられたクリスマスのイルミネーションが、夕闇の中で
すでに素朴な光の点滅を始めていた。
「…今夜は、あなたの大切なクリスマス・イブですよ…早めに病院の方に戻りましょうか…」
ユキオは彼女の肩に手をかけて言った。
黄昏の止まった時間の中で、淡々しい小雪が音もなく、ひらひらと螢のように舞っている。
年明けには、彼女もここを退院することになっているが、ユキオは、彼女と離れることを考える
だけで、胸がしめつけられるような寂しさを感じていた。
ずっと彼女といっしょにいたかった…。患者と看護師の関係以上に、ユキオは、彼女に魅了され、
愛しい思いをずっと胸に秘めてきたのだ。