B-5
「お茶です」
「いただきます」
ひと口すすった途端、カビ臭が鼻をついた。
おそらく、何年もの間、客人用として保管していたのだろう。
吐き出したい衝動に駆られたが、雛子は一気に喉の奥へと流し込み、
「ありがとうございます。ちょうど、喉が渇いてたので」
笑顔を返した。その顔を見た母親も、嬉しそうだ。
「そうですか!じゃ、もう1杯」
「いえ、もう大丈夫です。それより…」
雛子は辺りを見渡すふりをして、
「あの、哲也くんが居ないようですが?」
そう疑問をぶつけた途端、母親の顔がみるみる曇った。
「…おおかた、魚獲りに行っとります」
「魚獲り?」
「昼間じゃと人目に付きますけえ、夜になって取っとるんです」
俯いた母親の顔には、苦悩のシワが刻まれていた。
「不憫な子じゃ。ワシに甲斐性の無いばかりに…」
食事も満足に与えられないため、子供が夜な々、食料を調達に出かける。そんな境遇に遇った事の無い雛子でさえ、辛さは容易に想像出来る。
そう思った時、彼女が考えてた“お願い”など頭から消えていた。
「あの…」
雛子は、おそる々訊いた。
「さしでがましいのですが、民生委員の方に、ご相談なさった事は?」
「民生委員?」
「ええ。そちらに相談なさって、ありのままを見ていただくんです」
母親は、不思議なものでも見るように雛子を見た。
「見てもらって、どうするんじゃ?」
「生活に困ってると判れば、申請して生活保護金が受けとれます」
「先生様、ワシは小学校しか出ちょらんから、分かり易う云うて下され」
「ですから、生活に困ってる方に、国がお金をくれるんです」
その途端、母親の顔が一変した。
「おめえ、ワシに施しを受けろっ云うのか!」
玄関先で浴びせられた以上の厳しい声。雛子も思わず、肩をすくませた。
そのあまりの怖じ気ぶりに、母親は冷静さを取り戻した。
「こりゃ、すまねえ事を」
「いえ。わたしの方こそ、余計な事を云っちゃって…」
良かれと思って進言しても、全てが正しいわけじゃない。時には、人を傷つけてしまう。
母親も同じなのだ。極度の貧困にあえぎながらも、施しを受けずに生きるのを信条としてきた。
その覚悟を目の当たりにして、雛子は清々しささえ感じていた。