B-4
「ひとん家の前で、何してんだ!?」
「あ、あ、あの…わ、わたしは」
余裕のない口調が、なおさら怪しさを増していく。雛子は何とか落ち着こうと思った。
「待って…待ってください。わたしは…哲也くんの」
息子の名を聞いた途端、母親の気が緩んだ。
「何でおめえが哲也の名を知っちょる?」
「わたし…哲也くんの学級の担任で、河野雛子って云います」
雛子の言葉を聞いて、今度は母親の方が驚いた顔になった。
「こりゃまあ!すまねえことを。哲也の先生様でしたか!」
母親は、自分の非礼を詫びて深々と頭を下げた。そんな状況に慣れていない雛子は、出来事に冷静さをなくしてしまった。
「ま、まって下さい!お母さんッ。わたしなんかに、頭を下げられちゃ!」
雛子は母親に駆け寄ると、その手を取った。
「わ、私、き…今日は、哲也君の家庭訪問に伺ったんです」
「哲也のって、こんな夜、遅うに?」
母親は不思議に思った。今までの学級担任で、こんな時刻に家庭訪問した者など覚えがなかった。
そんな母親の疑問に、雛子は遠慮がちに答える。
「その…お母さん、帰宅は遅いと伺ったので…いらっしゃる頃に合わせたいなって」
「ワシのためじゃと?」
母親はまじまじと雛子を見た。目の前に立つ、あどけなさの残る娘が、自分に対して礼を尽くそうとする姿に驚いた。
亡くなった父親は、村の顔役の1人だった。そのおかげか、近所付き合いも多かった。
ところが、父親が亡くなって今の場所に移ってからは、火が消えたように誰も寄り付きもしない。
母親は、久しぶりにあの頃を思い出した。
「ここは何じゃから、中に…」
雛子は奥へと通された。
小さな土間と台所、それに板間だけの部屋。
電気も流れていないのだろう。部屋の明かりに行灯がひとつ、置かれていた。
(これじゃ勉強なんて…)
自分の手元さえ満足に見えない。予想以上の状況だった。
雛子は板間に通された。
「何にも無くて、すまねえです」
「あの、お気遣いなく」
母親は粗末な盆に乗せた湯飲みを、雛子の前に置いた。