異界幻想 断章その2-4
後学のために城内をうろつき回るジュリアスを迎えに出たティトーは、中庭の出た時点で何かが叩きつけられる音を聞いた。
それなりの重量物が地面に落ちる音を聞くに及んで、誰かが殴られているのだと気づく。
足早に、けれど慎重に足を進めたティトーは、胸倉を掴まれて宙吊りにされているジュリアスを見た。
ジュリアスを宙吊りにしているのはティトーより二つ年上の、ケルスヘルフ侯爵令息だった。
カールがかかったというより縮れたと表現したくなる綺麗とは言えない短い金髪に、豚よりも酷い目つきの水色の目玉。
小肥り……いや、はっきりとした肥満の体型とニキビとそばかすが派手に散った顔。
面食いのティトーとしては一目見ただけで当面お腹一杯の、どうにも反りが合わない相手だ。
むくむくした美しくない後ろ姿に、腰巾着の少年二人が張り付いている。
「差し出がましいな、お前」
きいきいとうるさい声で、ケルスヘルフは言った。
「大公爵公子だからって、すぐ殿下とお近づきになりやがって。俺達が殿下からお声をかけていただくのに、どれだけかけたと思ってんだ」
「ぐっ……うぅ……!」
苦しさのせいか足をばたつかせるジュリアスの顔に、ケルスヘルフは唾を吐き掛けた。
「身の程をわきまえろよ、ガキが!」
ジュリアスの華奢な体を地面に叩き付けると、三人はその場を後にする。
情けない話だが、ティトーはジュリアスを助けるために動けなかった。
理由の一つ目は、ケルスヘルフとの体格差。
軽量で筋肉のない自分の体型と、背丈十分で筋肉と脂肪たっぷりなケルスヘルフとでは、勝敗は最初から見えている。
二つ目は、純粋にケルスヘルフが恐かった。
嫌いで恐い相手にかかっていけるだけの勇気が、出せなかった。
「……っつ!」
むっくり起き上がったジュリアスは、服をはたいて土埃を落としながら血の混じった唾を吐き捨てた。
「歯が壊れなかったのは儲け物か……」
ジュリアスが体の前面をはたき終える頃に、ティトーはようやく恐くてすくんでいた足を動かす。
「ジュリアス……」
「ティトー」
少し驚いた風に、ジュリアスは目を見張った。
「今の……」
「何でもない」
助けに入る事ができなかった己の弱さを恥じながら声を搾り出すと、ジュリアスはあっさりとそう言った。
「父上に言われたんだ」
ぽん、と拳がティトーの胸に入る。
「お前が王子と親しくなれば、やっかむ輩は必ず出て来る。殿下や友人の力を借りるのも結構だが、まずは自分の力で解決しなさいって」
「……」
どうやら大公爵は、この事態を予期していたらしい。
「僕はあいつに聞いた。どうしてこんな事をするのかって……その答は、さっきの宙吊りだ」
口をむぐむぐと動かしたジュリアスは、再び血の混じった唾を吐く。
「最初は、相手の真意を確かめなさい」
服の袖でケルスヘルフの唾を拭きながら、ジュリアスは続ける。
「父上の助言だ。それに倣って聞いた結果があれだから、次を聞いてみないと……そうだ」
ジュリアスははにかんで、ティトーを見上げた。
「殿下に伝えて欲しいんだ。この顔でお傍に行ったら殴られたのがばれちゃうし、退出の言い訳を考えてくれないかな?」
ティトーはただ呆然として、頷くしかなかった。
「ありがと。それじゃ、腫れが引くまで家に引きこもるからしばらくさようなら」
ジュリアスは毅然と歩いて、中庭を去っていった。
小さなその背中が、不思議と大きく見える。
ティトーは、自分を抱き締めた。
全く、自分が情けない。