凪いだ海に落とした魔法は 3話-52
「秘密が欲しい」と僕は言った。
「秘密?」
白川がわざとらしく小首を傾ける。
「金なら僕が払う」
「どうして志野くんが?」
「分かってるんだろ」
「何を?」
「金が惜しいなら僕が返す。沢崎と話したいなら場所を設ける。だから、僕たちに秘密、つまり、君に口止めさせる権利をくれ」
僕が根負けしてそう言うと、白川慧は、また笑顔のレパートリーのひとつを見せた。自分の立場を確認して満足感を得るような笑顔。ウイニングスマイル。
「僕たち? それは、志野くんと問題を買った人達という意味かな。それとも――」
彼女はその先の言葉を注意深く口の中に留め置き、「ここから先を言うのはあなたの役目よ」と告げるように微笑んだ。
「僕と沢崎、という意味」
そう応えて言葉の穂先を継ぐ。彼女は満足そうに頷いた。
「意外とすぐ吐いたわね」
「僕なりに頑張ったつもりだけど」
「全然ダメじゃない。とぼけるのは得意みたいだけど、諦め早すぎ」
「潔いと言って欲しいな」
僕は大きく息を吐いた。一ヶ月も体内に溜めていた二酸化炭素をようやく吐き出せたような解放感を覚える。たまにしか吸わない煙草が無性に恋しい。
「それで、志野くんもグルだったことが判明したわけだけど、沢崎くんには会わせてくれないのかな?」
「さっきも言った通り、秘密を守ってくれるなら」
「それはどうかなあ。話してみないとわからない。私は“誠意ある対応”を求めてるの。お金がどうこう以前に、せめて顔を見せて二人で謝ってくれないことには話にならないわ。ね、会わせてくれるでしょ。どちらにしろ志野くんに拒否権はないもんね」
どいつもこいつも、と僕は思った。日下部沙耶も白川慧も、僕の想像以上に意固地な人間だ。負けず嫌い、と言い換えてもいい。泣き寝入りや痛み分けなんて死んでも許すものかと、彼女たちはそういうスタンスを取る人種なのだ。損得を考えて沈黙を選択した菊地とは雲泥の差。それはそのまま、男と女の違いかもしれない。理屈抜きで感情を優先する瞬間が彼女たちにはあるのだ。
「分かった。連絡するよ」
精神的な疲れで淀んだ吐息と一緒に、僕は降参の声を出した。
「よろしい」
白川慧は鼻をツンと上げるようにして勝ち誇る。
「沢崎には今日中に話しておくから、詳しくは明日になる」
「それでいいわ」
「お前と話すことなんてないとか言われても、僕を恨むなよ」
「誠意がないのね」
「あいつの誠意は僕の担当じゃない」
「それもそうね。ああ、それとまだ気になってたことがあるんだけど」
「何だよ」
「日下部さんも、あなたたちとグルだったの? 土曜日に一緒にいたし、あの人も、その――」
「こういうことをしそう?」
「そう。模範的な生徒じゃないことは確かでしょ」
良くも悪くも一目を置かれている日下部だが、実際は自ら進んで悪事を働くようなタイプではないのだ。真面目に生きる充実感も、道から外れる背徳感も、彼女には何の喜びももたらさない。どっち付かずのまま、自分に素直に生きてきた結果が今の日下部沙耶なのだ。
―いつも気だるげで遠い目をしたはぐれ者。“楽しい”という感覚の美しき探訪者。