凪いだ海に落とした魔法は 3話-41
日下部沙耶を楽しませるためのプランは難航を極めていた。沢崎は元からやる気がなかったし、日下部は基本的に人任せ。必死に考えているのは僕だけで、その僕にしたって有能なイベンターというわけでもないのだ。捻り出したアイデアはどれも類型的で、ストーリーなんて生まれてくる気配のない平凡な計画ばかりだった。
そこで僕は、取り敢えず賑やかな場所に行けば、何かしら楽しいことはありそうだという短絡的な思考の下に行動を開始することにした。下手な演出で物語を盛り上げようとするのは止めにして、演者たちのアドリブに任せようという作戦だ。
「それ、作戦って言わないんじゃない?」
携帯電話でこの計画を話したときに、日下部はそう指摘した。
「希望的蓋然性の作戦、というやつだよ」
「希望的蓋然性の作戦?」
「そう。この世で最も汎用的な作戦なんだ。週末のデートプランから戦争までなんでもごされ」
僕の言い訳に彼女は「あなた、期待外れね」と電波まで凍り付きそうな冷たい声を飛ばしてきた。
「志野の好きにしろよ。一応は“契約”があるから何処に行こうと俺も付き合ってやる。まあ、どうせ暇だしな。ああ、お前、ついでにバイト先でも探しておけよ。前にも言ったけどウチは親父と俺だけで事足りてるからな」
沢崎は沢崎で、そんな熱のないことを言っていた。というか、僕はあの店でバイトしたいなんて一言も言った覚えはない。
そういうわけで休日を迎えた僕たちは、隣町のショッピングモールに遊びに行くことにした。お洒落なブティックからアフリカンテイストの民芸品を置く雑貨屋。果てはメイド喫茶までオールマイティな繁華街。この界隈ではデートや家族連れで遊ぶときの定番となっている場所だ。
駅前で待ち合わせをして、僕たち三人は集合した。
「それで、この面子で“楽しい”ことって何をするんだ」
ショッピングモールに向かって歩いている途中で沢崎が言った。
「希望的蓋然性の作戦、だってさ」と日下部が答える。
「何だそれ。何も考えてないってことか、志野」
「成るように成れ、という考えだよ」僕は言う。
「同じことじゃねえか」
「あなたたちに頼んだ私が間違っていたのかしら。こんな“普通の展開”を希望していたわけじゃないのだけど」
「ああ間違いだね。俺とこいつは自分たちが楽しむのに精一杯なんだ。お前の人生なんぞ知ったことか」
アーケード型のショッピングモールは混雑していた。巨大なアーチの下を数百人の人間が行き交っている。自分が血管を流れる赤血球にでもなったかのようだった。
「暇人ばかりだな。他に行くとこねえのかよ」沢崎が呆れたように言う。
「みんなそう思ってるんだよ。あ、もしかして僕に対する嫌味か?」
「さあ、どうでしょう」
特に目的もない僕らはウィンドウショッピングに興じつつ、お茶の出来そうな店を探して歩いた。
そのうち地味な――良く言えば質素で親しみのある喫茶店を見つけて、そこで休憩することにした。
「ここに来て分かったことは」とメロンソーダで口を潤してから日下部が言った。
「楽しそうな場所でも、お金がなければ何もすることのない場所が世の中にはあるということ。消費することで自己実現できる人間には最適な場所かもしれないけれどね。その手段を持たない人間はどうすればいいのかな。ねえ、シノ」
僕はアイスコーヒーの氷をストローでくるくる回しながら窓ガラスの外を眺めていた。日下部の静かなる非難の声は聞こえていたけれど、無視を決め込む。
行き当たりばったりでこんなことになったわけだが、さて困った。希望的蓋然性は何のイベントも引き起こさず、希望は希望のまま時は過ぎていく。
――何か面白いことが起きないだろうか。そんな期待を込めた眼差しを嘲笑うように、通りを行き交うカップルやファミリーが足早に過ぎ去って行く。