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凪いだ海に落とした魔法は
【その他 官能小説】

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凪いだ海に落とした魔法は 3話-27

「ねえ、シノ。あなたはこういう会話が楽しいの?」

不意に彼女が、そんなことを言って話を変えた。稚気を帯びた真っ直ぐな瞳で僕を見据える。

「日下部は僕を変態か何かと勘違いしているんじゃないか」
「そうじゃなくて、つまり、こういう何気ない会話をしているとき、“楽しい”っていう感情を覚えるのが普通なのかなって」
「どうだろう。あまり意識していないからね。大体、こういうのってパズルみたいなものだと思うから」
「パズル?」
「そう。ばらばらのピースが何を象徴しているのか何て誰にも分からない。組み上げてみないとその全貌は掴めないからね。一見何の示唆もない思い出を積み上げていって、後になって思い出してみると、いつの間にか楽しかった記憶のひとつが完成しているんだ。だから、今この瞬間だけを切り取って楽しいかと訊かれても、素直にうんとは言えないかな」

日下部は束の間、視線だけを落として静かに思考していた。僕の言葉を左脳で丁寧に分析しているようだった。やがて彼女は小さく頷いた。

「納得した?」と僕は訊いた。
「何となくね」

でも、と彼女は続けた。物憂げな横顔は、ぼんやりと窓の外に視線を彷徨せている。繊細な氷像を思わせる冷たい輪郭を、僕は綺麗だなと思いながら見詰めた。

「きっと私のピースは真っ白なんだ。組み上げたところで、どんな絵にもならないよ」

夏の暑さにさえ溶けてしまいそうな儚さの欠片が、彼女の顔に一瞬の影を落とした。それは巧妙な手品のように消え去り、後にはいつものペルソナ的無表情が残るだけだった。

「だから、あなたが絵を描いて。自分が何を描きたいのかさえ、私には分からないから」

そんなことを彼女は言って、また眠りの体勢に入る。机の上で組んだ腕にこうべを落とし、「もう誰も私に話しかけるな」というオーラを発散し始めた。

――真っ白なパズルのピースに絵を描いて、か。

僕は想像した。日下部沙耶にはどんな絵が似合うのだろう。どんな風景なら、彼女は“楽しい”という感情を知ることができるのだろうか。空想の中の日下部は、何故かどのパターンも独りきりだった。そして、ひどく憮然とした顔でこっちを見ていた。もう、そんなイメージが僕の中で出来上がっているのかもしれない。固定観念というやつだ。ならばと思い、僕はその絵の中に自分の姿を足してみた。日下部沙耶の隣りに志野俊輔。絶望的なまでに似合わない絵面だった。彼女の隣にいるのが沢崎だったなら、それはもう最高のバランスだ。美男美女というだけでなく、本質的に似通った二人。すぐにでも物語の始まりそうな気配がする。
そうなんだ、と僕は思った。僕の役割はあくまで絵を描くことに過ぎない。彩られ、主役を飾るのは僕の柄じゃない。そういう大役は向いていないのだ。

チャイムが鳴り、教室が生徒で埋まった。担任教師が入ってきて出席を取り始めても、日下部は眠り続けていた。





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