凪いだ海に落とした魔法は 3話-23
「沢崎のこと? 僕のこと?」
「あいつ。さっきまでは長年の宿敵みたいに喧嘩腰だったのに、ビールとピザ、だってさ」
「ピザは嫌い?」
「高カロリー」
「ああ、なるほど」
「ねえ、ビールを飲めば楽しくなる?」
「さあ。体質によりけり、じゃないかな」
「そう」
「沢崎のことは、嫌いか? ほら、嫌いな相手と飲んでも楽しくはないだろうから」
彼女は少し考える素振りをしてから、首を横に振る。
「好きではない。嫌いというほどでもない。少なくとも今は、椅子を投げてやりたいとは、思ってはいないよ」
「それは良かった。うん。椅子は投げるものじゃない」
穏やかな音楽は穏やかな夢のようにすぐ終わり、また“がなり声”が聞こえてきた。やれやれ、と僕は思った。椅子を投げるべき対象は沢崎ではなく“がなり声”の発生源であるジュークボックスらしい。
沢崎がトレイを手に戻ってきて、テーブルにグラスとビールとピザを置いた。「お待たせ致しました」と従順なウェイターのように恭しく言う。顔だけは整っているから、なかなか様になっているのが腹立たしい。
「ご苦労」
「ごゆっくりどうぞ」
ビールをグラスに注ぎ、口に含む。ピリッとした苦さが舌を刺してから喉元を過ぎていった。
自販機で飲み物を買うような気軽さでビールを飲めるのは、いいことだ。自販機のようにシステマチックなウェイターがいて、自販機で買ったようなありきたりなビールを提供してくれる。そういう酒が飲める夜もまたありきたりで、ありきたりであることに安らぎを得られる唯一の時間が、ここにはあった。その安らぎにケチを付けるのは、壁際のジュークボックスに閉じ込められたボーカリスト。死んでも唄うことを止められないその不遇を嘆いているのだろう。ここから出してくれと叫んでいるようにしか聞こえなかった。死人の唄声を聴きながらビールを舐める夜。そんな世界中に転がっている時間だった。
沢崎はしきりにバイクのことを日下部に訊ねていた。どうやら彼の中の日下部評は、ロボットみたいで気持ち悪い女、という悪印象から、バイクに乗っている女、という興味深い対象に格上げされたらしい。日下部は特に感情を表に出さず、簡素な返答で対応している。端から見れば、ナンパ中のプレイボーイとそれをあしらう美少女といった趣だった。
僕はチーズの少ない冷凍ピザを食べながら、“楽しい”という感情を覚えることのない人生について考えていた。
具の乗っていないピザ生地。エンジンを搭載していないバイク。炭酸の抜けたビール。煙の出ない煙草。動物のいない動物園。目的のないロールプレイングゲーム。
考えた末に導き出された答えは、それはきっと退屈な人生なのだろうな、という考えるまでもない感想だった。
恋、夢、友情、創造。僕らの社会で人生の糧、あるいは目標とされるものの多くは、その根元には“楽しい”という感情が起因していた。楽しくなければ人と繋がっていたいとは思わないし、結果に楽しみがなければ、夢を追うこともないだろう。辛いこともあるだろうが、それを乗り越えた先に楽しさが待っているから、人は耐えられる。まあ、一般論としてはそんなところ。
だから、日下部沙耶は孤独なのだろう。
“楽しい”という結果がないのだから、その過程である人との交流に意味を見い出せるはずもない。他人に関心を持てず、そんな自分を憐れむこともしない。ただ冷めた目で、自分とそれを取り巻く環境を睥睨し、言葉にできない物足りなさを感じて、人知れず少女は溜め息を漏らすのだ。