凪いだ海に落とした魔法は 3話-16
「――気持ち悪ぃ女」
そう言って火を付けたばかりの煙草を揉み消す沢崎。その感想はストレートに過ぎないか?
「美人だよ」と僕はフォローした。
「ハッ、なおさら気味が悪いね」と彼は言う。
「お前さあ、そりゃ友達できねえわな。誰がこんなマネキンみたいな女と酒が飲みたいと思うよ。犬のケツでも眺めてたほうがまだ酒も進むね」
「普通の高校生はね、相手が誰であれ“一緒に酒が飲みたい”だとかは思わないんだよ、沢崎くん」と僕は言う。
店内を暴れる曲が変わった。変わったところで騒々しい曲であることは同じだった。鼓膜を破壊することを目的とした新種の音階兵器なのかもしれない。荒れ狂う音の奔流とは対称的に、この場所の空気は冷たく滞っていた。秘匿された皇帝ペンギンの棲息地のように回りの空気とは何処かがずれていた。
「次は、私が感想を言う番なのかしら」と日下部が沈黙を破った。
「何に対しての?」僕は訊く。
「彼の推測に対しての。つまり、私が本当は、ひとりぼっちであることの恥ずかしさを隠すために、強い振りをしているだけだっていうこと。そして、それを正当化するためだけに周りの連中をバカにしているということ」
沢崎がまた煙草に火を付けた。付けたり消したり忙しい奴だ。
「どうぞ」と薄く笑いながら彼は言う。
僕は少しだけ緊張しながら日下部の言葉を待った。目薬を差す程度の緊張感。日下部の唇が開かれる様子がやけにゆっくりと見えた。
「確かに、そうなのかもしれない」
何だって?
「言われて気付いたけれど、まあ、つまりは、言われてみれば、というレベルの話なんだけど。確かにそうなのかもしれないと、私はそう思ったよ」
平然とした顔で日下部はそう告げた。そういう台詞は、臍を噛むような面持ちで口にするものだ。ただ喉の奥から機械的に発声するものではない。自己を省みた結果として、忸怩たる思いで言葉を吐き出す――そんな様子は微塵もなかった。“あいうえお”を口にするように、そこには何の感情も込められてはいなかった。
流石に沢崎も唖然としていた。それはそうだろう。感情的に否定されたなら鼻で笑うこともできる。無感情に肯定されるとは思ってもみなかったに違いない。
「日下部?」と僕は言った。
「何?」
「――ああ、いや、その」
「だから、何よ」
「お前、マジで言ってる?」
「嘘を吐く必要が?」
「ないから不思議なんだ」
「なら信じればいいじゃない。そんなシンプルな思考もできないの?」
信じろと言われても無理だった。
日下部沙耶はプライドが高いだけの寂しがり屋?
それを誤魔化すために今まで強い振りをしていただけ?
違うだろう、日下部。そんな奴はそんな顔をしない。開き直るならまだしも、図星を付かれた後にノーリアクションで認めるなんて普通じゃない。
今まで僕は見てきたのだ。日下部沙耶の在り方を。
遥か未来の地中でコロニーを営むウズラの末裔のように、完結された孤独という過去の美徳を律儀に継承し続ける彼女の姿。
その佇まいは近付く人々まて凍らせるような冷たい空気を纏わせていて、何処までも自己完結的。青の孤独の体現者。
僕にはあれが偽りだとは到底思えなかった。