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凪いだ海に落とした魔法は
【その他 官能小説】

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凪いだ海に落とした魔法は 3話-17

「――ああ、そう。当たりだったわけか」

沢崎はそう言ったけれど、やはり複雑そうな顔をしていた。自分の言葉が作り出した人物の印象と、それを容認する目の前の人物との印象が、急に一致しなくなったのだろう。それでも日下部自身がそれを認めてしまったのだから、もう後には退けない。

「まあ、全部を認めたら語弊があるのだけれど――」と日下部は溜め息混じりに言った。ようやく感情らしきものが見えた。
「まず、私は一人だから寂しいわけじゃない。相対評価じゃなくて絶対評価として、物足りない、と感じているだけ。それは寂しさじゃなくて、単なる無いものねだりなんだと思う。それを誤魔化すために強い振りをしているのではなくて、それしかやり方を知らないの。昔からこうだったから。振り、という以前に、どうするのが素直な態度なのかが分からない。それから、周りの連中を見下している、というのも何か違う。私は、理解はできても共感はできない対象として彼等を“区別”しているに過ぎない」

日下部の自己分析が、玲瓏たる声で僕らの耳を静かに打つ。
まだ半分も吸っていないのに、沢崎がまた煙草を消した。感情のスイッチを切り変えるように、彼は煙草に火を付けたり消したりしている。

「自分がロボットになった気でいるのか? お前は」

沢崎の揶揄するような軽口にも、日下部は律儀に思案して見せる。
「ああ、そうか、それは良い例えだね。そう。時々、自分の思考が機械みたいだ、と思うことは、確かにあるよ」
「そう思いたいだけじゃないのか? ガキみたいに、自分が正体を隠した別の存在だって思い込んで楽しんでるだけだろ? 幼稚な妄想が現実での振る舞いにまで反映されちまってる。恥ずかしい奴だな」
沢崎の口振りは相変わらず喧嘩腰だった。
「それはない。あなた、随分と憶測で人を計るのが好きみたいだね。好ましくない」

日下部の口振りはアイスピックみたいに鋭くて、冷たかった。それを温めるような言葉を僕は知らなかった。アイスピックにそんな言葉が必要ないことは知っていた。ただ氷を叩き割る鋭さだけがあればいいのだ。温もりは必要ない。


――ああ、なるほど。僕は唐突に理解に至った。二人の馬が合わない理由を。
これはいわゆる、同族嫌悪、というやつだろう。
自己の象徴を内有する存在。攻撃的なまでの個性を臆すことなくなく曝け出すことのできる二人。本質的にこの二人は似ているのだ。


「私は――」と日下部は言い出し、束の間言い淀む。
迷い。その言葉を口にするべきか否か、逡巡しているようだ。日下部にしては珍しい反応。
「君は?」と僕は先を促した。

「――“楽しい”と思ったことがない」

彼女は、いきなりそんなことを言い出した。
沢崎が「は?」と口を開いたが、その口から「は?」と発声されることはなかった。僕も同じような顔をしていたのだと思う。呆気に取られ、ぽかんとした顔で日下部を見つめる。何を言い出すんだこいつは。

「どういう意味だ? その、言葉通りには受け取れないけれど」と僕は言った。
「言葉通りに受け取ってもらって構わない」
「君は、楽しいと思ったことが、ない?」
「そう。理解してるじゃない」
「いや。してないよ。全然」
「どうして? そのままの意味だよ。私は昔から、何処で誰と何をしていても、“楽しい”と感じたことが、一度もない。それがどういう感情なのか、知識として理解はしている。自然と笑みや高揚を誘発するような心理状態。愉快な気持ちや刺激によって心が満ち足りる状況。主にドーパミンやエンドルフィンなどが脳内で分泌されているときに、人は“楽しい”と感じる。私は、それを実感したことが一度もない」

日下部は自分のこめかみを人差し指で示し、頑迷で融通の効かない医師みたいな口調でそう語った。
何を言っているんだこいつは。そんな顔で沢崎が僕の方を見たから、肩を竦めて同じ顔を返してやった。


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