不確かなセカイ-6
直感で選んだ解答か、それは『あてずっぽう』と言うんだよ。そう言おうとしたが、やめた。私はカウンセラーであり、家庭教師ではない。不毛な言い合いは、私の好むところではあるが、言い負かした所でカウンセリングに必要な信頼が失われかねない。それは一番重要な要素であり、最初の話し合いで築かなくてはならないものだ。
「君は、この世界が君の妄想に過ぎないと言ったね。それならば君以外の人は君が創り上げた、現実には存在しないヒトになるわけだ。当然、私も含めて。でも、私は自分の意志でこの世界に生きている。人生を誰にも強要された覚えは無いよ。それに、もし、この世界が君の妄想であったとしたら、君の悪いようにはならないはずだ。そう塞ぎこむ必要は無いんじゃないかな。」
私のその言葉に、彼は顔を左右に振った。「分かってない、全然分かってない。」
「例えば、先生が夢を見ているとしましょう。夢の中の登場人物に、果たして意識は無いのでしょうか?夢を形成している本人には分からないはずだ。」
確かにその通りだ。
「夢というのは、いつも思い通りになってくれますかね?人を傷つける夢、誰かに殺される夢。自分が創り上げた世界であるにも関わらず、そんな出来事は平気に起こり得る。違いますか?」
「つまり、君の妄想の世界は、君が形成した夢に似ている、と?」
「まぁ、近似的には。僕が夢から醒めてしまえば、この世界はどうなるか分からないという点においても。」
ぞくり、と背筋が凍る。今までと同じトーンで彼は、そう言ったから。
夢から醒めれば、と。
それはつまりこの世界から消えるということ。そしてその手段は一つしかありえない。
彼は、瀬戸際まで追い詰められている。ただ、今の私は彼を救う術を持ち合わせていない。彼の学校での生活はどうだったであろうか。彼は、ずっと翔太と一緒だったと言う。けれどクラスメートは翔太を知らない。ならばクラスメートには、翔太と話している彼はどう映っていたのか。まずは下調べから手を付けるべきだろう。とても彼との対話の中だけでは、解決策など見つけられそうもない。
「今日はもう行くよ。」
腕時計に目を落としながら私は言った。「また明日くるから。」
「僕はおかしくないですよ。」彼は、強い口調で言った。「でも、この考えは否定してもらいたい。どうか」
どうか、見捨てないでください。彼の目が訴えている。彼は切に救いを求めている。
はっきり言って私には自信が無い。薬の服用もせずにここまで常軌を逸した考えを持てるものなのか。それでも私は頷いた。頷かなければいけなかった。
「ああ、きっと。だから、君が夢だと思っているとしても、決して目を醒まそうとするな。私が、君の目を醒まさせてあげるから。もちろんいい方向にね」
そう言って私は彼の部屋を後にした。時間は午後七時を回っている。辺りは不気味なほど静かだった。空には孤高の月。まるで絵に描いたように丸い月。その月光さえも、彼を照らすことは無い。
私は二階の彼の部屋を見上げてみる。先ほど私がつけた電気は消され、一筋の光も漏れていない。一体、何から身を隠そうとしているのか。私には分かるはずもない。
『そんなことをしても無駄なことは知っているはずなのに』
ふと、どこからともなく声が響く。
『だって現に彼は見られている』
辺りを見まわすが、人の気配は無い。言い知れぬ恐怖感から、私は歩調を速めた。幻聴を聞くほど疲れているのか。明日から彼の本格的なカウンセリングを始めるというのに。私がそんなものを聞いてどうするというのか。
「・・・はっ。」
私は乾いた笑い声をあげた。
もう一度、彼の家を振り返る。彼のカウンセリングは最優先にしなければならない。今もあの部屋の片隅で虚空を見遣やっているのだろう。そして彼の創造したこの世界を、壊さないよう、否定しないよう、足掻き続けているのだろう。
なぁ、もしこれがお前の創造した世界なのだとしたら、それは悲しすぎるじゃないか。
彼の部屋を見つめて私は、そう呟いた。