めぐり出会う、薔薇のもとで-5
「あの…」
泣き終えたボクは彼の広い胸にずっと凭れたまま夜空を見上げてた。
彼も無言のままで同じように天を見上げている。
「ん?」
その姿勢のまま、ボクは尋ねてみた。
「君の名前はなんて言うの?」
間抜けな事だけど、それまで名前を聞いていなかったんだね。
だけど、いらなかった。名前を知らなくても、それ以上に大事なものを彼から貰ったから。今尋ねたのは、話題を変えたかったからに他ならない。好きなだけ泣いていいって言われても、やっぱり泣いた後は照れ臭いもんだしね。
「私はケインス=ハイネリア」
…なんか聞いたことがあるような気がする。
でも、どこで聞いたか思い出せない。
「…じゃあ、ケインちゃん、だねっ」
ふふっ、とケインが小さな笑みを洩らした。不快なそれではなく、照れ臭さから来るものだとボクは既に判っていた。それだけ、ボクたちは判りあえていたんだ。
「…そういうレディ、君の名前は?」
ぽりぽりと鼻の頭を掻きながら彼の問いが返される。ボクは余りのさり気なさにそのまま本名を言い掛けた。
「ボクはね、リーフ…」
そこまで言って慌てて口を塞ぐ。ボクが皇女だと知ったら…彼もまた、ケインと言う男の人じゃなく一人の臣として、接する事になる……そう思えたんだ。
「じゃなくてっ!り…リグ!リグって言うんだ!!」
思わず、お母様がいつも呼んでいた愛称を教えてしまう。他の誰も知ることの無いボクの別称。
それを聞いて、ちょっと怪訝そうな顔をしたけど、すぐにケインはにこっと笑った。
「リグ…か。良い名だな。お母様に付けて頂いたのかな?」
彼の問いにボクは笑顔になってうんっ、と答えた。
「では、リグ。宜しければ…一つ、お願い頂けますか?」
突然のケインの申し出にボクは身を固くした。まんじりともせず見つめるボクの前に、立ち上がったケインの手がすっ、と手を差し伸べられる。
「踊っていただけませんか?」
当然、ボクはその手を受け取った。
それからの事は…とても楽しかった。
ボクたちは、舞い散る薔薇の華びらの中、踊り続けたんだ。
「お疲れ様でした、坊ちゃま」
踊り疲れて眠っているリグを起こさないよう、静かにセバスが歩み寄る。
何時からか、ケインたちを見守っていたのだろう。
ケインもそれと気付いており、姿を現した老爺を笑顔で迎えた。
「別に疲れてなどいないさ。むしろ楽しい一時を過ごさせてもらった」
心からそう思っているのだろう、ケインは本当に嬉しそうな顔になっている。
「なんか…聞いていた、深窓の才姫というイメージとは違いますな」
セバスの口ぶりは口で言うほど意外でもない。きっと、普段仕えてる人物がそれと似たようなタイプだからこそなのだろう。
「ふふっ、まあ人の噂などあてにはならんと言う事だ」
軽口めかして答えるケイン。彼もまた、普段の印象は大分違うのだ。
「さあ、そろそろお姫様をお連れせねばな」
そう呟くケインたちは、いなくなったリグを探しに来ていたシュタイン公たちに向かい歩き出していた。
翌日。ボクは自分の寝室で眠っていた。
夢?そう思えたけど…でも、それにしては随分リアルだ。
ともかく、起き出したボクはいつものスケジュールをこなす為準備に取り掛かる。
この日も確か、謁見があったはず。
その相手は……やっぱり思い出せなかった。別に物覚えが悪いわけじゃないよ?ただ、おんなじように謁見してくる人がいっぱいいたから、覚えて無かっただけ。
だけど…やっぱり忘れっぱなしは良くないね。
そう思ったのは謁見者が姿を現したとき。
やってきたのは…あの、綺麗な青い髪をした彼だったから。思わず反射的に立ち上がりかけたボクに、ケインはウィンクして見せた。
近寄り、そっとボクの手を取ると軽く口付けしてみせる。そのまま顔をボクの耳元に近寄せると、彼は言ったんだ。
「良ければまた、あそこで踊りたいものだな、リグ」
そのまままたウィンクして見せる彼を傍にいたおじいちゃんが小突いているのを見て、ボクは嬉しくなった。
昨日の事は夢じゃない。そして、この人ならばボクをリグとして見てくれる。
そう、この日ボクはとっても大切な人を見つけたんだ。
Fin