めぐり出会う、薔薇のもとで-2
「おや?」
一人の招待客がボクに気付いて声を掛けた。ぎっくぅ。
「皇女、どちらへ?」
一瞬で背中を汗がびっしょり濡らす。けれど、折角脱出できるチャンス、無駄にしてなるもんか。
ボクは内心引きつりまくりながらも、ゆったりとした動作で振り向き、ちょっとドレスの裾を摘んで会釈する。内心を悟られる事の無い様とびっきりの笑顔を作って答えた。
「少し気分を変えたいので、バルコニーで夜風に当たってきますわ」
その言葉を信じたのか、相手はうむうむと頷きごゆっくり、とだけ返して話の輪に戻った。
ボクはほっと胸を撫で下ろすと、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ歩くペースを速めてバルコニーに向かった。また声をかけられちゃたまんない。寿命が縮んじゃう…といってもまだボク、10歳だけど。
でも、神様の悪戯はもう無かったみたい。今度は無事に表に出られたんだ。
夜風が頬を撫でていって気持ちがいい。やっぱり部屋の中は人いきれが凄くて蒸し暑いくらいだ。それに、裾まで長いドレスも暑い原因の一つかな。
ぼんやりとそんな事を考えながらボクは夜空を見上げる。虫の鳴き声が聞こえている。確か、東方のある小国では虫の鳴き声にフゼイを感じるとかって聞いたことがあった。ボクには良くわかんないけど、今はなんかほっとする。
そのままぼーっとするうちに…だんだん戻りたくなくなってきた自分がいた。
人間、欲ってどうしても出てくるものみたい。
ボクは…この場から逃げ出したくなっていたんだ。この場というより、ここの全てと言ったほうが良いかも知れない。
ボクは周りをきょときょと見回す。幸い、誰もいないし、部屋の中はまだボクがいなくなったことに気付いてない。逃げるなら今のうちだ。
そう決めて、ボクは急いでバルコニーをまたいだ。レディにあるまじきはしたない格好だけど、この場合はしょうがないよね。だって服を取りに戻ってる時間なんか無いし。
だけど、やっぱりドレスを着てすることじゃなかったみたい。
ボクはバルコニーをまたいでそこから柱をしがみついてゆっくり地面まで降りるつもりだったんだ。いつもはそうしていたし。だけど、ドレスって裾が長い上にすべすべしてる素材でできてるってこと、その時まですっかり忘れてて。
結果、ボクは二階分くらいの高さから手を滑らしておっこっちゃった。
「ひゃあああああああっ?!」
あられもない声でみっともないけど。こんな場合に上品な悲鳴なんか上げてられないって。
ともかくボクは地面に叩きつけられる、そのことしか頭に無くてパニックを起こしちゃった。ぎゅっと目をつぶってその時を待っていた。
「危ないっ」
だけど、覚悟してたその時は来なかった。
変わりに、誰かの両手で支えられる感触と、しっとりと落ち着いた男の人の声。
「え…」
「大丈夫か?」
恐る恐る目を開いたボクはそのままはっと息を呑んだ。
最初は…夜の帳から抜け出たヒュプノス神かと思った。
ボクを見つめるその人は月夜の中に青い綺麗な髪を溶かしこんだ男の人だった。すらりと伸びた眉、吸い込まれそうな紫の瞳、きりりと締められた唇…どれをとってもまるで一つの芸術品のようで、ボクは返事も忘れてぽーっとただただ見惚れていたんだ。
「…大丈夫か?」
再度声が掛けられ、ようやくボクは我に返った。同時に、彼の手がボクをしっかりと下から支えてくれていた事にようやく気付いて慌てふためいちゃった。
「あ、え、ええ。あ、ありがとうございます…」
それ以上は言葉が出なかった。
だって…こんな綺麗な人に恥ずかしい所を見られちゃったんだもの。
そんなボクの気持ちを知ってか知らずか、彼はそうか、とだけ言って何も聞かない。その態度に、ボクは好感を持った。
「ぼっちゃま〜」
「む…」
「!」
突然の声に思わず身を固くした…けど、どうやら声の主はボクを探していたわけじゃないらしい。それが判ったのは、彼が実に渋い顔をしていたから。ボクをだっこしたまま慌てて木陰に隠れてやり過ごす間、こっちまでつられて息を殺してた。