異界幻想 断章-1
娼館の女主人が、優雅に頭を下げる。
「長のご逗留、まことにありがとうございました。お父上に、よろしくお伝えください」
ジュリアスは、軽く頷いた。
「ジュリアス様」
進み出てきた新造を抱き締め、軽く口づける。
年も近く、娼館での逗留で彼女とは一番気が合った。
「お名残惜しゅうございます」
瞳を潤ませ、彼女は囁いた。
「俺もだ、****」
今となっては忘れてしまった名を呟き、ジュリアスはもう一度彼女に口づけた。
「またおいでくださいませ」
目が潤んでいるのも声が震えているのも、きっとセールストークだ。
「お待ち申し上げておりますわ」
自分の手に絡められた指が妙に熱いのも、きっと演技だろう。
そう思い込まなければ、やっていられない。
「……さようなら」
館を一歩出ればもう会えない事は、お互い分かりすぎるほどに分かっていた。
自分へ性の修練を積ませるため、父が選んだこの娼館。
王都に数ある娼館の中でも最高の質と料金を誇り、来訪者にこの世の天国を提供する場所として知られている。
夜毎の宴で供される、贅を尽くした酒と食事。
たっぷり食べて飲んだ後は磨き抜かれた美貌を持つ娼婦達をより取り見取りで指名し、一晩中淫蕩な授業に没頭する。
男色を含むあらゆる性を学び、及第点をもらったのがつい先日の事である。
「坊ちゃま」
見つめ合う二人の間に割って入ったのは、ジュリアスを迎えにきた執事の声だった。
「そろそろお時間でございます」
「分かってる」
万感の思いを込め、ジュリアスはもう一度彼女へ口づけた。
決然と踵を返し、娼館を後にする。
正門前には馬車ではなく、馬が二頭待機していた。
一頭は、執事が乗りこなしているおとなしい黒鹿毛。
もう一頭は……見た事のない若駒だ。
まだ幾分かねずみ色の体色が残っているものの、全体的には白い。
眉間には、見事に抜かれたような黒い星がある。
大型の体格なのに、地面を掻いてこちらを待っている様は小さく見えるくらい、見事に引き締まった馬体をしていた。
「こいつは?」
それを聞いて、執事が苦笑する。
「やはり、お忘れでございましたか」
「え?」
「坊ちゃまが娼館入りされる前、牧場から献上された馬がいたではございませんか」
ジュリアスの脳裏に、半年前の事が思い浮かぶ。
「……あいつか!?ずいぶん立派になったな!」
手綱を握ると、馬の首に抱き着く。
「軍馬として満足のいく仕上がりになったと、牧場主が話しておりましたよ」
そう言った執事が、痛そうに肩を押さえた。
「本当に、軍馬として素晴らしい仕上がりです」
「……噛まれたな」
ジュリアスはひとしきり笑うとあぶみに足をかけ、身軽に飛び乗った。
「足慣らしに、ちょっと走ってみる。先に帰ってていいぞ」
「かしこまりました。旦那様へは、報告を済ませておきます」
「頼む」
返事もそこそこに、ジュリアスは駆けていった。
あっという間に消えてしまった少年の背を考え、執事はため息をついた。
あの者に対してジュリアスがどう反応するか……考えると、気が重い。