#03 研修旅行――二日目-8
「きみの気が収まるかどうかなんて、俺には、いたって関係のないことだ。そうだろう?ええっと……きみの名前はなんだったかな?」
「っ――」
ああ、これはキツイ。
これだけ、「おまえ、おれをはめただろう」なんてのたまわっておいて、まさか、同室のクセに名前すら覚えてもらえていないんなんて……さっき、可愛そうと評価した自分を評価してやりたい。
これなら、まだ、交尾をしたら食べられてしまうオスの女郎蜘蛛のほうが幸せに思えるほどの不遇だ。あえて言うなら……不憫?
しかも、見るとすでに二十では済まないくらいに観衆が集まってしまっている。
山崎は――そりゃあ、当たり前なのだが――顔を真っ赤にさせ、グッと拳を固めると、岐島へと足を踏み出した。
「山崎良明だっ!コラァ!」
「きゃあっ」
聴衆のうちの女子だろう、何人かの悲鳴が、ホテルのロビーに響いた。
山崎が岐島に殴りかかったのだ。
私の、最初に抱いた感想はこうだ。
――止せばいいのに。
「はぁ……」
岐島の溜め息が、私には聞こえた。それはこの距離だったためかもしれないし、もしかしたら、山崎に聞かすためのモノだったのかもしれない。
とまれ、岐島は、その身に襲い掛かる拳を眺め、その軌道を見極め、ソコから胴体をずらし、さらにそれまで自身の身体があった場所を通過しようとする山崎の右腕を同じく右手で捉え、往なして威力を殺し、捻り上げ、完全に相手から腕を動かす能力を奪うと、最後に、その腕を、まるで飛んできた野球ボールを投げ返すかのような気軽さで、その持ち主へと押し返した。
「っぉ?……えっ」
山崎が目を丸くしている。
それもそのはず、岐島の防御は、ほんの一秒程度の時間で行われたのだ。当人にしてみれば、なにをされたかは理解するできていないだろう。
殴りかかったのに、気づいたら、その腕がおのれの胸元に帰ってきていた、あっれぇ〜?って感じだろう、きっと。
私だって別段、目が良かったわけではないのだ。
アレだ。野球中継とかテニスのテレビ放送とかを思い出して欲しい。あのとき百五十キロを越えるピッチャーのボールや、プレイヤーのサービスとかを難なく目視できるだろう?あの感覚だ。
本当だったら、それこそ目にも止まらぬだろうに、第三者の視点だからこそ可能なんだ。人体の神秘ってやつである。
岐島が、億劫そうに山崎を見つめた。
そして、さきの攻防自体がなかったかのように、平淡に口を開く。