ご先祖さまは…女岡ッ引き-2
☆「姐さん…千歳の姐さん…いますかい?」
花のお江戸は、深川花町近くの『烏〔からす〕長屋』の貸し部屋に、一人の若い男が訪ねてきた。
「んっ…?なーんだ、銀八か…こんな朝っぱらからなにか用?」
部屋の中に、寝転んでいた若い娘が、面倒くさそうに土間の方に体を向けた…歳の頃は、十七〜八。色白でマツ毛の長い、娘だった…男物の着物を着て、腰の帯に十手を差した娘は、眠そうな目で近くに置いてあった肉桂〔俗名・ニッキ〕の細根を口にくわえた。
「なにか用じゃありませんぜ、もうお天とうさまは頭の上ですぜぇ…千歳の姐さん、事件ですぜぇ廻船問屋の『陸奥屋』が昨夜、盗っ人に押し込まれたそうですぜ」
「あっ、そう…」
そう言って…娘岡ッ引きの千歳は、やる気がなさそうに子分の『石投げの銀八』にゴロンと背を向けて寝ッ転がった。
「行かないんですかい?」
「気分が乗らないのよ、そんなチンケな事件は、他の岡ッ引きに任せておけばいいのよ…あたしが首つっ込むのは、もーとデリシャスな事件じゃないとね」
「ほうっ…チンケな事件は興味ないか…オレがこうして足を運んできても行く気にはならないとはな…」
銀八の背後から聞こえてきた、聞き覚えのある声にガバッと跳ね起きた千歳は…驚いた顔で正座した。
「や、矢吹さま…」
銀八の後ろから、涼しげな目をした若い同心が、軽い笑みを口元に浮かべながら、覗いているのが千歳の目に映った。
鼻筋の通った、役者のような色男の同心だった。千歳の上司で名を『矢吹 伊織』と言う。
「そうかぁ…行く気にはならないかぁ…残念だなぁ」
房付きの十手で、凝った肩をポンポンと叩く、矢吹の仕草に、千歳は悲鳴に近い声を張り上げた。
「い、行きます!」
「そうか…行ってくれるか…いい子だ…今度、深川にできた船橋屋の練りヨウカンを土産に、持ってきてやるからな」
と、矢吹は、からから笑いながら言った。
「オレは、いつもの茶店の方で、待っているからな…ちゃんと『陸奥屋』の方に行って話しを聞いてこいよ…」
まるで、妹でもからかっているような口調で、千歳に言い残して矢吹は、立ち去っていった。
矢吹が去った後も、千歳は妙に赤い顔で、固まっている。
そんな千歳に、すかさず銀八がつっこむ。
「姐さん…なに、赤くなっているんですかい」
「べ、別に赤くなんてなっていないわよ」
「そうですかい…あっしから見たらまるで、お神酒を飲んだ弁天さまみたいに、真っ赤ですぜ」
「ば、バカ!ムダ口叩いてないで『陸奥屋』に、聞き込みに行くよ!銀八!」
その場の雰囲気を、ゴマ化すように、慌てて外に飛び出した千歳の後を銀八は…やれやれ、といった顔でついて行った。
一刻ほどで、廻船問屋の『陸奥屋』に到着した千歳は、早速…主人の陸奥屋 平兵衛から盗賊に押し込まれた時の様子を聞いた。
「すると、夜中に倉の方から物音がしたので…何かと思って外に出たら…狐のお面を被った、黒装束の一団とバッタリ鉢合わせをしたと…ここまでは、間違いないわね」
「はい、その通りです」
小太りの廻船問屋主人…陸奥屋 平兵衛は、千歳の問いに静かに答えた。
「それから、その盗賊団に脅かされて…倉のカギを開けさせられ…倉の柱に縛りつけられた…だったわね…ふむっ」
千歳は、赤紙の巻かれた新しい肉桂の根を口にくわえると…倉の入り口に立ち…外された錠前を眺めた。
「物音を聞いて外に出た、時刻は覚えている?」
「確か…子の刻〔深夜・十二時ころ〕を少しばかり過ぎたころ、だったと…」
「なーるほどねぇ」
千歳は、房なしの坊主十手で背中を掻きながら、肉桂を噛み締める。
銀八が、小声で言った。
「姐さん…その狐の面で顔を隠した黒装束の連中は…『稲荷党』ですぜ」
『稲荷党』──それは…最近、江戸市中を荒し回っている盗賊団だ。
掛け軸や陶器…仏像などを専門に狙って、盗みを働いている。
「たぶんね…だけど、なんか窃盗の手順が、いつもの稲荷党と違うと思わない…」
千歳は、首をかしげた。
「稲荷党は、念入りに計画を練ってから狙った倉の、合いカギを造ってコッソリ忍び込むんじゃなかったっけ?」
「そういやぁ…変ですねぇ、わざわざ物音をたてて、店の者を誘い出したようにも思えますぜぇ」
千歳は、陸奥屋にさらに聞いてみた。
「で、盗まれたモノはなんなの?」
「いやぁ…それが…不思議なコトに、何も盗んでいかなかったんです」
「えっ…?」