続・幻蝶(その1)-4
「…ヤスオ…ほんとに、ヤスオくんなの…」
私はその美貌の青年に唖然として、唇の端から独り言のように言葉が洩れる。あのころのヤスオ
とは別人のようでありながら、その顔の輪郭の中には、確かにヤスオの面影が漂っていた。
でも、あのころのヤスオの弱々しい瞳ではなかった。その真っ直ぐに私を見つめる瞳は、どこか
吸い込まれていくような深い群青色をしていた。
「…亜沙子さんですよね…」
ヤスオは花柄の水色のワンピースを着た私のからだをじっと見つめていた。そのどこか謎めいた
無彩色の視線が、私のからだにすっかり忘れ去られた渇いた欲情をほのかに沸き上がらせていた。
「…会いたかった…ずっとあなたに会いたかった…」
ヤスオは、どこか恍惚とした表情をし、切ないほど感慨深く私を見つめ続けていた。私たちは
向き合ったまま、茫然とたたずみ、互いに見つめ合っていた。
私とヤスオのあいだに空白の時間がながれ、地中海の心地よい風がとおりぬけていく。
どれくらい私たちはそうしていたのだろう…。
「…あのころ…ほんとうにごめんなさい…」
不意に私は、ヤスオの視線を逃れるようにうつむき、小さく呟いた。潤んだ私の瞼の中が熱くな
ってくる。
「…そんなこと言わないでください…」と、ヤスオは私のからだに大胆に手をまわすと、頬を近
づけた。
ヤスオの冷たい唇が心地よく、私の唇に重ねられた。ヤスオの腕が強く私を抱きしめると、
私のからだの中に、どこからか微熱がひろがりはじめる。
あの頃のヤスオにくらべて、まったく違う男のように、何か大きさとたくましさと優雅さを私は
彼の胸の中に感じた。
こんな館にいったい誰が住んでいたのだろうと思うくらい館は広かった。
ヤスオが私に用意した部屋は、二階の広々とした落ち着いた部屋だった。重々しい調度品と優雅
すぎるほどの部屋のしつらえ、広いベッド…部屋の中には、いつも薔薇と熟れた果実の甘い匂い
が漂っていた。
部屋から眺める南イタリアの風景は、眩しい光とあざやかな色彩に包まれていた。そして、地中
海の潮の匂いとともに、どこからか遠い波の音さえ聞こえてきそうだった。
それに、使用人だというインド系の長い黒髪をしたヴィディアという女が作る料理と自家製の
ワインは、毎回の食事ごとに、私がこれまで口にしたことがないような絶品の味わいを与えてく
れた。