昏い森−睡蓮−-4
「―お前、死のうとしてたのか」
睡蓮はまだはっきりとしない意識の中、ゆっくりと頷いた。
すると、目の前の気配が俄かに変わり、二つの腕が睡蓮を抱き上げた。
それは確かに人の腕で、懐に収められた睡蓮の頬はその人物の胸に押し付けられる。
そこからは規則正しい心音が聞こえてきた。
次から次へと起こる奇異な出来事に、睡蓮の頭はついていかず、驚きはするものの完全に為されるがままになっていた。
誰かと会話するのも、触れられるのもほとんど、経験したことがなかったのだ。
「では、お前の命、俺にくれるな」
嬉しそうな男の声音は断定的で、睡蓮を驚かすようなことを言い放つ。
「・・・貴方、誰なの・・・?」
睡蓮の言葉は戸惑いに揺れた。
「俺は、森羅。この森に住まう、妖だ。―娘、お前の名は?」
「・・・睡蓮」
睡蓮の放った己の名は、森の奥深くまで響いて、やがて風とともに消えていった。
確かに獣の姿をしていた筈の男は、睡蓮に頬を寄せると腕に力を込めて満足そうに抱きしめた。
―まるで、睡蓮は自分のものだと言わんばかりに。
*
現のこととは思えないことの連続で、睡蓮は男の腕の中で暫く、唖然として何も考えられなかった。
しかし、男がさくさくと落ち葉を踏み分け、軽々と睡蓮を抱えたまま、迷いなく進むので、ふと訝しく思う。
「・・・何処へ行くの?」
弱々しく尋ねると、男は何でもないように答えた。
「お前のいた部屋だよ」
まるで、当然と言わんばかりの男の言葉に、睡蓮は青ざめた。
「何故?嫌よ。降ろして」
あの檻のような場所から逃れたくて、外へ出たというのに。
誰もいない、忘れられたような、あの部屋。
淀んだ空気が漂い、やがて睡蓮を内側から蝕み、腐らせるのだ。
やっとのことで決意して、そうして外へ出たのに。
―死に場所を見つけて。
もうあの離れには戻りたくない。
あそこに居たら、思い知らされるのだ。
睡蓮が誰にも必要とされない人間なのだと。
厄介者の忌み子であるということを―。
睡蓮は身を捩って暴れたが、男はびくともせず、睡蓮を抱く腕の力は強かった。
「お前の命はもう、俺のものなのだから、お前に拒否権はない」
深い響きの男の声が睡蓮の耳元で囁かれる。
男は妖だと言う。
光を知らず、満足に歩くこともできない自分をどうしようというのか。
「・・・貴方の望みはなに?」
ふと男が笑った気配がした。
―捨てるような、命なら。
「俺のために生きろ」
再び声を失った睡蓮を嗤うかのように、強い一陣の風が通り抜け、睡蓮と男の髪を弄ぶ。木々が立ち込める森の中にあっては葉擦れの音も大きく、そのざわめきは不穏で睡蓮に不安と少しの恐怖を与える。
睡蓮を抱く男のように―。