どこにでもないちいさなおはなし-10
「こんばんわ」
最初に声をかけたのはあかむらさきのワンピースの少女でした。
店内は薄暗くオレンジ色の光りが漏れる照明がいくつも天井からつるされていました。それは色々な形をした提灯のような物で、風もないのに、たまに、ゆらりと、揺れるのでした。
両側の壁には大きな棚が二つと小さな棚が一つ置いてあり、中には、古今東西さまざまな物が窮屈そうに座っていました。
棚の前にもたくさんの使い勝手のわからない物があり、中には、上等な上着を着たカエルとそっくりな置物まで、ありました。
店内の奥には木を彫って造られたそれはそれは素晴らしい机が置いてあり、机の上に置かれた花瓶には香木の見事な枝が入っていました。
香木の枝からは、煙が、うっすらと立ち上り、甘い香りを漂わせていました。
少女は返事を待ちましたが、しばらく経っても返ってこないので、もう一度言いました。
「こんばんわ」
上等な上着を着たカエルは、自分とそっくりな置物を見て、目をまぁるくしていましたが、少女の二回目の挨拶で、店内の奥を見ました。
少女と上等な上着を着たカエルは、じっと、薄暗い奥を見ていましたが、返事はありません。
たまりかねて、もう一度声をかけようとした所で、やっと、声がしました。
それは、凛と通る声でした。
「……まったく。お店に入ったら、まず、ごめんください、って、言うもんだよ」
声は二人が見ていた方向から、突然でした。
それまでは、確かに誰もいなかったように見えたのに、奥の立派な机に、長い銀髪の女性が座っていたのでした。
「ねーえ、マイティ」
甘ったるい声で話しかけたのは、大きな目が特徴の巻き毛の女だった。
ここはオレンジグリーン亭の2階。
マイティが主人に借りてる部屋。
下の喧騒が遠くの波の音のように、聞こえてくる、居心地のいい所だった。
部屋には茶色のチェストと、大きなベッドしかなく、窓にはくたびれたカーテンがかかっていた。
長い茶色に薄汚れた兎耳を大きな目の女は、細い白い指先で、撫でながら、もう一度呼ぶ。
「マイティったら」
マイティと呼ばれたその薄汚れた兎は、面倒くさそうに、振りかえる。
「なんだい、ハニー」
それでも、浮かぶのは笑顔だった。
二人は白いシーツだけを身に纏っている。
温かそうな羽毛布団や、ベットを覆うシーツは、どことなく、乱れていた。
部屋の天井には照明に反射してマイティの吐き出した煙草の煙が充満しているのが、見
えた。
「ねーぇ、イヴ様は、本当にもう、そのお力が、ないの?」
甘えるように大きな目の女はマイティに抱きつく。
頬を寄せ、背中を誘惑するように、指先で撫ぜた。
マイティは耳を少し揺らして、小さくうめいたが、女を押し倒す事はしなかった。
その代わりに、また、煙草に火を灯した。