異界幻想ゼヴ・セトロノシュ-7
ズ、ズズッ……!
体の奥底から揺さぶられるような原始的な恐怖が、この場に満ちた。
まがまがしい雰囲気と共に、上方の空間が軋み歪む。
『もういいぞ』
「ご苦労」
男は短く言うと、黒い鎧を抱えて飛び上がった。
ぐい、と物凄い吸引力で二つの鎧は引き寄せられる。
「や、ちょ、待っ……!」
まごつきを何とか克服した深花だったが、とんでもない事へ巻き込まれているのに気づいた。
「あうぅっ!」
自由に動かない体をよじった瞬間、堪らない感覚が腰から脳天に向けて走り抜ける。
「ちょっ……と、何で、私まで……」
どうにもおかしい体に鞭打って、深花はそれだけ呟いた。
「あ?神機のないこの世界にミルカがいる訳ねーだろ。お前はもともとこっちの住人なんだから、連れ戻すに決まってんだろうが」
心外そうに男は言うが、そんな回答は深花の想定外である。
「い、一体どういう……あああああっ!?」
再び体の内から何かが吸い出され、奇妙な感覚が神経どころか脳内まで引っ掻き回した。
それはあまりに強烈過ぎ、深花は半ば気絶した状態まで追い込まれる。
「……話に聞いてるより激烈だな。まぁ、死にはしないから大丈夫か」
ほんの少し前に体験したばかりの感覚が、男の全身を包み込んだ。
先程は乗り込む暇もなかったので生身で異空間を渡ってしまったが、今は乗り込んで守られているのだから安心ではある。
「さあ、レグ!帰るぞ!」
紅い鎧が降り立ったのは、森の中を流れる小川のほとりだった。
男は小さく口笛を吹くと、抱えていた黒い鎧を地面へ叩き落とす。
「ご苦労さん。そしてさようなら」
紅い鎧が片腕を突き出すと、指先から炎がほとばしり出た。
炎は、あっという間に黒い鎧を包み込む。
中身がしつこくしつこく再生するので、後腐れがないように燃やしてしまうのだ。
形容できない叫び声が、深花の耳をつんざく。
しかしその叫び声はすぐに弱まり、やがて聞こえなくなった。
黒焦げになった残骸を蹴り飛ばし、男は生死を確認する。
黒かった鎧は、もはや自分の意志ではぴくりとも動かない。
「よぅし……レグ、終わりだ!」
安全を確認した男は、そう呼び掛けた。
「ぅえっ!?」
その声を聞いてか、足を拘束していた肉がべろりと剥がれる。
同時に、癒着していた体も分離し始めた。
「あ……」
自分で驚いた声を上げたくせに、深花は複雑な気分に陥る。
男の体が離れていく度、何とも形容しがたい寂寥感が自分の体に満ちるのだ。
「行くぞ」
完全に離れた体に、男が手を伸ばす。
それは深花を慮ってというより、深花を逃がさないためと思われた。
ぐぅい、と閉じていた背が開く。
自由になった二つの体が、そこから飛び出した。
二人は、地面に降り立つ。
時刻は、どのくらいだろうか。
眩しい太陽や明るい日差しから、午前の遅い所か午後の早い辺りと思われる。
場所は針葉樹の少し目立つ木立に囲まれた、やたらに綺麗な小川のほとりだった。
「レグ。座標は?」
『クウェルダ川本流の近く。カイタティルマートに回収を要請しておいた』
野太い声が、必要な事だけを答える。