凪いだ海に落とした魔法は 2話-26
「嘘だよ。白川さんは、どうだった?」と僕は言った。
結局のところ、誰でもいいから自分の話を聞いて欲しいだけなのだろう。なら花瓶にでも話していればいいのに。花瓶にテストの愚痴を溢す美少女。きっと絵になる。花に取ってはいい迷惑かもしれないが。
「もう最悪だよっ。私、こんなに頭悪いとは思わなかったよ」
十六年もかけてやっと気が付いたわけか。それはもうテストの手応え以前の問題だ。
「それは、難儀だね」
「まったくねえ」
「誰かが教えてやれば良かったのにさ」
「え? テストの答えを?」そんな馬鹿な、というような顔で彼女はけらけらと笑った。君の“おつむ”の話だよ、とは言わずにおこう。
「いや、もう、何でもない」
「何よお」
「悪かった。忘れて欲しい」
「でもさ、私の勝負は、これからなんだよね――」
声のトーンを若干落として、彼女は含むように「ふふ」と笑った。
「これからって、あと一教科しか残ってないだろ」
白川はグッと顔をこちらに寄せると、何やら声を潜める様子で口を開いた。「あのね」と切り出す彼女の声は、秘密めいた囁きで投げ掛けられて――僕の耳朶を撫でるようにくすぐった。
「英語のテストだけはね、ちょっと、自信あるんだ」
「――英語、得意なんだ?」
「全然。でも、今回のはねぇ、特別なんだよ」
僕は、思わず顔をしかめそうになる。口の固そうな奴を選べと言ったはずなのに。畜生。よりによって白川慧とは――。菊地め。
それより気になるのは、如何にも何か裏がありますよ、という言葉を僕に投げる彼女の意図だ。まさか、気付いているのだろうか。僕がこの件に関わっていることを。そうでなければ、こんな物言いはしない。もしも誰かの不正が露見したときに、僕を通じて嫌疑の眼差しを向けられるのは自分なのだから。
「どういう意味?」と僕は訊いた。軽い口振りで、無知なるクラスメイトを装いながら。
「知りたい?」
「どちらかと言うと」
「ふふ。秘密」
「あ、そう?」
「私に冷たくしたからね」
「そんなつもりはないけど」
「それ、余計にタチ悪いよ?」
「確かに」
単純に、自分がそれを口にすることの危険性に気付いていない、ということも考えられるだろう。でも、そう考えるのは、楽観的に過ぎるだろうか。
「でも、良かったじゃないか。最後のテストに自信があるなら、気持ち良くテスト休みを迎えられる」と僕は言った。
「そうね。教室に入ろ。もう休み時間が終わるわ」
彼女に従って教室に入る。菊地の姿を探したけれど、見付けたところでチャイムが鳴った。まあ、売ってしまったものは仕様がない。テストの内容はもう白川の頭の中にあるのだ。ハンマーで叩き割って取り除くわけにもいかない。
僕は諦めて筆記用具を手に取ると、試験用の席に向かった。