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凪いだ海に落とした魔法は
【その他 官能小説】

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凪いだ海に落とした魔法は 2話-25

「なるほど。確かに、どれも四文字だ」
「さよなら」

そう言って日下部は椅子を引き、席に着いた。
やれやれ、と僕は思った。もしかして、これは先週の金曜日にからかわれた報復なのだろうか。これだから言葉は危険なんだ。さっき学んだばかりじゃないか。でも、それが甘い芳香を放つ桃色の罠だとしても、欺かれるだけの代価は得られそうだと、そんなことさえ考えてしまう。

おはよう。好きだよ。嘘だよ。さよなら。たった四文字で誰かを翻弄できるほど、言葉というやつは信用ならないものなのだ。

開け放たれた窓から、女神の舌にも似た柔らかな風が流れてくる。それは日下部の髪をそっと舐め、少し焦げたような日向の匂いを僕の席まで運んできた。
僕は小さくため息をつく。コンクリートみたいに無機質な冷たさが日下部らしさだと、そう思っていたのに――。もうわけが分からない。話せば話すほど、惑わされていく。結局は彼女の言う通り、話したところで理解を得られるわけではないのだろう。

教室に教師が入ってきて、ホームルームが始まった。
僕は肩肘を付きながら、いつもみたいに日下部の後ろ姿をぼんやりと眺めた。

「今日は黒か」

誰にも聴こえないように僕は呟いた。白よりは黒がいい。少なくとも、日下部に限っては。
窮屈な頑迷さと、明け透けな茶目っ気が、彼女の背中で居心地悪そうに同居していた。





二教科目のテストが終わった。思ったよりは悪くない出来だったけれど、この場合の悪くない、というのは、最悪ではない、という気休め程度の意味でしかない。
残るテストは英語だけだ。足りない分はここで稼いでおきたい。慌てて復習をする必要もない教科なので、トイレに行ってから、悠々と教室に戻る。あちらこちらから、英単語やらその意味を確認する声が聞こえてくる。その声に混じって、僕を呼ぶ声も聞こえた。

「志野くん」

白川慧が、僕を見つけて近づいてくる。何やら顔でサインを送ってきたが、打ち合わせをしていないので、意味は分からない。何も聞こえなかった振りをしようかとも思ったけれど、目が合ってしまった以上は、立ち止まるしかない。テストどうだった? とでも訊かれるのだろうか。

「テスト、どうだった?」
ほらきた、と僕は思った。
「世界史の感想なら、前にも言ったと思うけど」
「違う違う。ついさっきの、ていうか、今回の期末考査について。どうでしたでしょう?」

癪に触る話し方だったし、癪に触る声だった。もう少し僕の心に余裕があったなら、可愛らしい、と評価してもいいかもしれない。女性の可愛らしさというのは、いつだって蔚陶しさも引き連れているのだ。要はそれを無視できるか否かで、僕には無理だ。

「ああ。なら、英語が終わってから訊けばいいのに」
「ええ〜、何か冷たくない?」
「声に出てた? それとも顔に」
「何だよこいつ、って顔してる」
「何だよこいつ、何て思ってないよ。誰だよこいつ、とは思ったかもしれない」

ええ〜、とまた彼女は言った。目をくるくるさせ、「ひどいよお、それっ!」と笑い出す。自分の容姿に自信のある女子特有の、誇張された仕種。冗談なしに忘れてしまいたかった。


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