恋愛小説(5)-2
夏季キャンプで葵ちゃんに桜井さんとのことを話して以来、僕はなんとなく清々しい気持ちを抱えていた。千明以外の第三者に吐露したからかもしれない。あの後夏休みに大学構内で彼女の事を見かけても、以前程に動揺する事はなくなっていた。今でも思わず胸の痛みが蘇ることはあったが、それは隣に居る訳でもなくて、通りすがりの見知らぬ人といった所まで距離を置くことが出来ている。でも僕はそのことを二人に打ち明けることは無かった。話すべきことと話さないでおくべきことの区別ぐらいはつくつもりだったのだ。
「どうして村田さんがそのことを知ってるの?」
「や、すみません。シンジ君から聞いてて。これ、オフレコでしたか?」
「いや、かまわないよ」
村田さんは千明と葵ちゃんの想いに気づいているのかもしれなかった。見るからにバツの悪そうな顔をし、失言だったことに気付いた。
「別にどうって話はないよ。夏以来話しもしていないし、なにをどう思うってことも、最近は無くなって来たしね」
「忘れる事が、出来たの?」
僕の言葉に、そう質問を投げかけたのは葵ちゃんだった。ネイビーブルーのカーディガンを羽織り、手首に小さな腕時計をしていた。それをしきりに付けたり外したりしている。動揺しているのかもしれない。
「忘れたとは言えないかな。ただ以前のように思い出す事は無くなったってだけ」
「それを世間一般的に、忘れたっていうんやと思うねんけど?」
千明はそう言いながらも、手首に付けたファーを休まずいじっていた。千明も動揺しているのかもしれない。僕はそれに気づいて、申し訳ない気分に成った。
「そうかもしれない」
「そうじゃないかもしれない?」
「そうじゃないかもしれない」
「結局、ちーくんはわからんままやん。今までと変わらんやん?」
「うん。そうかもしれない」
「でも、そうだとしたら嬉しいな」
葵ちゃんが笑ってそう言ったので、僕はドキッとした。これはとても微妙な言葉だ。胸の痛みが蘇って、僕はもうどうしようもない気持ちになった。二回生の夏季キャンプで、千明と話している時に感じた、あの痛み。ズキズキとか、ひりひりとかっていった外傷的な痛みではない、あの痛み。
□
木村田の二人は見るからに不安定だった。いよいよ二人の破滅論が多数を占めはじめたころに、僕は懐かしい顔と出会った。十月の半ばの話しだ。
僕の元友人で、桜井 明菜の彼氏でもある男だった。
「よう水谷、ひさしぶりだな。まだ天文にいるのか?」
学校内で何回かすれ違った時に顔はみているはずだったのだが、彼はそう言った。ひさしぶり?溜め息がでそうな台詞だ。僕は今まで、お前の顔をすれ違う度に何回殴りたいと思ったか。
「久しぶりだね。どうしたのさ?僕は相変わらず天文サークルにいるよ」
「そうかそうか。相変わらずうだつの上がらない連中相手にしてるんだな」
彼は自身が過去に天文サークルに所属していることを棚に上げてそう言い放った。端々に刺のある、イヤな言葉だな、と僕は嫌悪感を押さえながらそう思った。
「で、どうしたの?なにか僕に用事?」
「そう邪見に扱うなよ。お前に朗報を持って来たのさ」
「朗報?」
「そうだ。朗報さ。それもとびっきりの朗報さ」
訳がわからなかった。関わりを持たない人間が、急に朗報を持ってくるはずもない。たとえそれが本当に朗報だったとしても、うさん臭さ爆発だ。
「で、なにさ?その朗報っていうのは?」
「昨日な。明菜と別れたんだ」
僕ははっきりと混乱していた。蒸発寸前の熱を頭に抱えて、どうにかなってしまいそうだった。朗報?これが、朗報?彼は一体なにを期待して、僕にその言葉を放ったのだろうか。喜ぶとでも思ったのだろうか。それとも?……、わからない。どうやら僕の頭は本当におかしくなってしまったらしい。
「な?良い知らせだろ?お前、ずっと明菜のこと狙ってたんだろ?良かったじゃねぇか」
良かった?……一体、なにが良かったのだ?
「そんなお前に、さらなる朗報だ。明菜な、俺と付き合うまで、お前のことが好きだったそうだぜ?」
好きだった?誰が、誰を?桜井さんが、僕を?ばかな。
「良かったな。まぁ多少俺が唾付けちまったお古だけど、まぁ上玉だよな。井上より、よっぽど良い女だもん、あいつは」