Conversation with a man who regains it-4
宮下勉君としての【僕】が聞いた刑事の言葉を思い出す。本能を超えたところにある思考回路。生や死や中絶や自殺や殺人やそんな類の事柄はきっと全て本能を越えたところにある思考回路が決定をしている。本能を越えたところにある意思決定を覆すために、僕が当たり前の理屈や思考をもってしてもどうしようもないことは明白だ。僕は本能を越えた意志を持たなければならない。僕が木村修を殺さなかったとき、僕に訪れたあの感覚。そう、それは神意だ。
行こう、と僕は思う。立ち上がる。その場でびしょびしょに濡れている衣服を全て脱いでしまう。パーカーも、ジーンズも、Tシャツも、パンツも。靴下と靴も。まるきりの裸になってしまうと、僕は不安になる。ひどく自分が無防備になってしまったような気がする。でも、それでいい。僕はもう当たり前の理屈や思考でいるわけにはいかないんだ。僕だけが何かに守られているわけには行かないんだ。僕がやろうとしていることは、そういうことなのだ。
バンゴベの案内板を見つけ、僕は躊躇なくバンゴベ区内へと足を踏み入れる。砂利道の小石が足の裏に痛い。靴くらいは履いてくるべきだったかもしれない。まあいい。砂利道の小道を進んでいくと、その先には大理石のタイルも、腐って湿った長方形の木材もなく、そのまま洞窟の入り口が見えてくる。僕は速度を落とすことなく一定の速度で洞窟へと続く階段を下り、平らな斜面を下り、長い長い螺旋階段を下りる。そしてその先には確かに宮下修としての【僕】が視たのと同じドアがそこにある。僕はノックをせず、金色のドアノブを回し、中へ入る。
部屋の中は明るすぎることはなく、かといって暗すぎるでもなく丁度いい照度を保っていた。部屋の主は上質なソファーに座り、映画を見ながらペリエを飲んでいた。僕が部屋に入ると、彼は驚いたように腰を上げた。
「こんにちは。はじめまして」と僕は言う。
「こいつは一体どうしたことだろう」男は拍手をする。もう彼はリモコンを使わない。男には今ではちゃんと両腕があり、拍手をすることが出来る。その腕は、かつては宮下勉の腕であったものなのだろう。「驚いた。私が招待するでもなく、この部屋にやってくるとは」
「俺はこの場所のことを知っていたからここまで来れたんです」
「ほう。誰から聞いたんだい?」
「宮下勉君」
「聞き覚えがないな」
「その左腕のもともとの持ち主ですよ」僕は男の左腕を指差しながら言う。
「ああ」男は思い出したように明るく頷く。「ああ、うんうん。覚えているよ。彼のおかげで、私はまた美しい氷を割ることが出来るようになった。ところで、あの男は元気にしているかい? 大切な人には会えたんだろうか?」
「元気そうでしたよ。左腕がないのは不便そうだったけど」
「そうか。それは何よりだ。ところで、君は一体何をしにここへやって来たんだ? それに、どうして君は裸なんだろう?」
「裸であることに意味はないのですが。まあ、色々ありまして。それで、俺は宮下勉君と同じように、ルカに会うためにここまでやってきたんです。それで、あなたなら何か知っているかもしれないと思ってここまで来ました」
「なるほど。ルカ、というのが君が会いたい人なんだね? そして、君の世界では彼女はもう死んでいる?」