Somewhere no here-2
よっぽど後戻りをしようとして、<僕>は思い留まる。ちょっと待てよと<僕>は思う。もしこのまま引き返したとして、明日なり、明後日なりに先延ばしにしたところで、ここに何かがあるのは間違いがないはずで、<僕>は間違いなく何かに導かれている。そしてそれが分かっている以上、<僕>は再びここへ戻ってくるだろう。ここを突破しない限り、<僕>はどこへも辿り着けないのだ。それは必然というものだ。先延ばしにする必要なんてない。<僕>はもう、今までの一ヶ月以上も毎日生きているのか死んでいるのか、起きているのか眠っているのかも分からないような生活をしてきたんだ。だらだらと怠けるのはもう十分じゃないか。ヘイボーイ。と<僕>は自分自身を鼓舞する。ヘイボーイ。そこに逃げ場はないぜ。
僕は決心して腐食した木材の並ぶ道を歩いていく。辺りの景色はなるべく見ないようにしながら、足元だけを確認して前に進む。いっそのこと目をつぶって歩きたいくらいだったが、それではまっすぐ歩けるかどうかも怪しく、うっかり道を逸れて死体に足を引っ掛けて転ぶような事態になれば、<僕>はもう立ち直れないだろう、という予感があるので歯を食いしばってしっかり目を見開き、一歩一歩確実に歩を進める。
歩きながら、一体これはどういった原理なのだろうと僕は思う。この静止した世界とは一体どんな場所なのだろう。ここでは死体が溢れ、死の匂いが充満し、太陽の光は僅かに暗い。まるで灰色の膜を通した陽光が世界を照らしているみたいに。考えながら、<僕>は首を振る。よせ。考えるな、と<僕>は思う。<僕>にはこの世界がどういった場所なのか、あるいはその境目が何故北海道の田舎町にあるのか、そんなことを解明する知識なんてないじゃないか。それならば、<僕>はただこの瞳に映る世界を信じるだけだ。一見は百聞に如かずだ。<僕>は確かに今この静止した世界を視認している。その空気を、歪んだ空気を肌で感じている。重要なのは、ここが本当に存在しているという事実だ。
辺りをなるべく見ないようにしながら、ゆっくりと歩いていくと、腐食した木材の敷かれた道が終わり、地下へと続く階段が見える。入り口は狭く、洞窟が下に続いているように見えるが、奥の方が余りに暗いせいでその階段がどこまで続いているのか分からない。よりによって洞窟かよ、と<僕>は舌打ちをする。ちくしょう。メチャクチャ怖い。<僕>はポケットを探るが、灯りになりそうなものは何もない。煙草を吸わないから、ライターすらない。こんな事なら煙草を吸うべきだったと<僕>は後悔する。
ヘイボーイ、と心の中の勇気に満ち溢れる意志が戦く僕に向かって語りかけようとするが、その先は言わせない。分かってる。行くしかないんだろう?
階段を恐る恐る下りる。奥の方にぼんやりとオレンジ色の光が見えて、<僕>はほっとする。良かった。これなら先へ進めそうだ。<僕>は誤って転ばないように注意しながら、さっきまでよりもさらにゆっくりとした速度で歩く。階段は最初の入り口部分だけで、後はゆるやかな下りの坂道が続いているようだった。足元は平らで、何となく子供の頃探索したことのあるマンホールを思わせる造りになっている。
緩やかな下りの突き当りが左にカーブしていて、その先は螺旋状の階段になっていた。そこまで来ると等間隔にランプがオレンジ色の光が辺りを照らしているのが見えて、<僕>の歩くスピードは少しだけ上がる。上の世界とは違っていて、洞窟の中には死体がない。<僕>は螺旋階段をすたすたと下りていく。灯りが確認できるおかげで、先ほどまでの恐怖もほんの少しだけ薄まる。でも、と<僕>は思う。灯りが設置されているということは、何者かがいるということだ。この静止した世界にも、何かしらの生命体は存在するんだ。そう考えて、<僕>は溜息をつく。それが好意的な生命体であることは余り想像できなかったし、こんな世界の生命体がろくなモノであるはずがなかった。
この洞窟は世界の果てまで続いているんじゃないかとか考えながら螺旋階段を三十分くらいかけて下り、真っ白なペンキの塗られたドアを発見した時には、<僕>は体力的に限界だった。慣れない環境と穏やかではない心理状況が余計に肉体を疲労させている。とはいえ、そんな事を言ってもいられない。よし、と小さく心の中で気合を入れて、<僕>はドアをこんこんと二回ノックし、返事がないのでそのまま金色のドアノブを回して中に入った。