恋愛小説(3)-4
「ひーちゃんは泳がないの?」
一人で煙草を吸っていた所にそんな声がかかった(寂しいだなんて、思っていない……!!)。はっきりと僕の横に影ができる。見ると葵ちゃんが僕の横に立っていた。
「泳ぎたいけど、水着を忘れてね」
「あー、あの時ひーちゃん、一人バタバタしてたもんねぇ」
最近になって葵ちゃんの口調は「です、ます」口調から砕けて、同年代と変わらぬ話し方に変わっていた。白い陶磁器の様な足をすっと投だし、僕の隣に音も無く座る。白い控えめなビキニの水着が眩しい。
「それで一人で煙草吸ってるんだ?」
「うん。みんなかまってくれないからね」
「ははっ、たしかにみんな楽しそう」
自然の恩恵と戯れる若者の集団が目の前で楽しそうに遊んでいる。或る者は(どこから取り出したのか)イルカの形をした浮き輪にまたがり、或る者は膝上ぐらいの浅瀬で水をかけあいはしゃいでいる。
「うらやましい?」
「まぁ、すこしはね」
「強がり」
「別に強がっちゃいないさ」
「ひーちゃんも来ればいいのに」
「いや、僕は深窓で育った身だから、日に焼けるとかそういうのはダメなんだ」
くすくすと笑う葵ちゃんの肌は白く、強い日差しを受けると透けてしまいそうなほど透明感に富んでいた。肩程で切りそろえられている髪は濡れて、水をぽたぽたと滴らせている。水の流れが鎖骨当たりで溜まり、僕はそれが綺麗だと思った。
六月の雨の日以来僕は、葵ちゃんに何か後ろめたい気持ちを隠し持っていた。あの日僕が言おうとした言葉は、七月の日差しに照らされた水たまりの様に霧散し、それ以来口にできないでいる。僕は何度かそれを葵ちゃんに伝えようと試みたのだけれど、大概の場合それは成功せずに終わった。いつも喉らへんで、それは音もなく消えてしまうのだ。
葵ちゃんと言えば、それからも変わらず僕と接してくれていた。それどころかますます積極的に僕に話しかけ、千明が羨ましいという理由でタメ口をきく様になってしまったのだからあきれてしまう。まったく、千明といい葵ちゃんといい、心の不安を感じさせない様に振る舞うのが上手なものだ。そう思いながらも僕は、心のどこかで嬉しい気持ちを感じていた。
「僕にかまわず泳いでおいでよ?」
「いいの。私、ひーちゃんの側にいるのが一番楽しいから」
そしてたまにこういう不意な攻撃を放ってくるから油断ならない。僕は毎回今か今かと待ち構えているのだけれど、ふっと気を抜いたところで的確に攻撃してくるのだ。そして大体そういう台詞を言われるたびに僕は、どぎまぎと格好悪い所を披露してしまうのであった。
「そう?それならそれで、かまわないけれど」
「あっはは、ひーちゃん、顔真っ赤だよ?」
「ひ、日照りのせいだよ!」
「ホントかなぁ?」
そう言いながら僕の顔を覗き込んでくる葵ちゃん。お世辞抜きにその笑顔はかわいいと表現出来る。特に今の様な表情はまともな男の子なら一撃で撃墜してしまう破壊力を持っている。僕の場合も例外ではなく、僕は顔を背けることしかできない。
「年下なのに、またそうやって年長をからかって」
「だって、ひーちゃんかわいいんだもん。なんか年上って感じしないから」