Suicide-1
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宮下勉としての<僕>は、フランス語の講義を終えた後、次の講義までに時間があったので、一度家に帰ることにした。北海道滝川市にある短期大学の付近には主に学生向けのアパートがいくつも立ち並び、そのほとんどは学校から徒歩十五分圏内にある。<僕>が由佳と暮らしていたのも、そんな中のひとつだった。ワンルーム十三畳の部屋で、家賃は三万六千円。アパート自体が古かったので、相場よりも少し安めの家賃だった。
当時由佳はバドミントンのサークルに入っていたし、レンタルビデオショップでアルバイトをしていたので忙しかったが、その時間帯は家にいるはずで、<僕>は由佳と二人で少し遅めの昼食を食べようと思っていた。
空には太陽がまるで宇宙の支配者は自分だ、と言わんばかりにその存在感を放っていた。校舎を出ると、強い日光が眩しすぎるほどに辺りを照らしている。空には雲ひとつなく、この世に不幸なことなど何一つない、という気分になれるほどの快晴だった。空はどこまでも高く、青い。<僕>は目を細め、校舎前の駐車場を横切り、道路を渡り、砂利が敷かれた空き地を横切り、アパートの間の細い通路を通り抜ける。まともに歩道や道路を歩けば十分はかかるが、その道筋だと五分くらいで<僕>と由佳の住むアパートへ行くことができた。
その頃の<僕>と由佳との関係は良好なものとはいえなかった。その頃はまだ<僕>も由佳も十九歳で、その年頃の男の頭の中には、大体「いい女と一発ヤリてー」が最重要項目として常に付きまとうのが当たり前だし、素敵な女の子との出会いを、恋人がいようがいまいが心のどこかで求めている。見栄も張るし、虚勢も張るし、背伸びするし、格好もつける。全ては「いい女と一発ヤル」その為に。一方女の子の方も刺激的な日常を求める傾向が強い。「こないだ飲み過ぎちゃって、全然知らない男とやっちゃったんだよね〜。三回も」「どうせゴムつけてないんでしょ。ヤベーじゃん」とかいう会話が楽しい時期で、由佳の同級生の中には宅配便を運んできたお兄さんと出会って二時間後に一発ヤッたという、つわものもいた。
実を言えば、その時<僕>には二人のセックスフレンドがおり、由佳にも七つ年上の恋人がいた。それでも<僕ら>が一緒に暮らしていたのは、一応親の公認の元で始めた同棲だったということもあり、お互いの両親にはなかなか破局を打ち明けられなかった事が要因として挙げられる。特に由佳の父親にそんなこと言ったら、本気でぶっ殺されるかもしれないと<僕>は怯えた。そもそも、由佳の父親は初めから<僕>と由佳との同棲には反対だったのだ。さらには現実的な問題として、引越し、さらには新しい住居にかかる敷金、礼金という金がなかったというのもある。おまけに、テレビも冷蔵庫も洗濯機も一台ずつしかなく、それらの分配もなかなかにシビアな問題だった。
そのような理由から、<僕ら>はお互いの関係がすでに過去のものになったことを悟り、友達として付き合っていこうということを話し合って決めた後でも一緒に暮らしていた。『お互いに干渉しないこと』と『間違ってもセックスはしないこと』『家賃と食費は完全に割り勘』という三つの条件付で。
宮下勉君の話に、僕は正直驚いた。僕は二人がずっと仲慎ましく付き合っていたのだと思っていた。そして、そのような女関係にだらしない男というのは、助手席に座る宮下勉君のイメージとはかけ離れていた。