一章「血の軛」-1
大晦日の夕暮れ、珍しく鹿児島に雪が降った。この時私は正月休暇を利用して帰郷していた。生家のカーテンを開けると雪景色が広がっていた。どの家の屋根にも雪が積もっていた。遠くに見える峻嶮な山々は白雪をかぶり、そのせいで稜線がぼやけている。美しい風花に吹かれ、庭の枯木が柔らかな白い実を結んでいた。
「雪、降ってるね」
私は妹の育美に言った。育美はこたつで蜜柑を食べながら、疲れた顔でテレビを見ている。センター試験の過去問を収録したテキストの上に、退屈そうに尖った顎をのせて。
少し時間が経ち「本当だねえ」と気の無い返事がかえってきた。
「ねえ。ちょっと、外に出てみようよ」
「嫌。だって外寒いもん」
「でも、」
「何?」
「ほら、いい気分転換になるかもしれないよ」
私がそう言うと、育美は仕方なく紺色のダッフルコートを着て、けだるそうに手袋をはめた。こうして私は育美を庭に誘い出すことに成功したのだった。庭に出て、育美の顔は少し明るくなったような気がした。私は少し安堵した。
「雪、きれいだね。お兄ちゃん」
育美はそう言って、細い指先で、雪で白んだノースポールの芽を撫でた。何か言葉を発する度に、妹の口から白い吐息の粒が漏れ、とても綺麗だった。私達は日が暮れるまで、静かに舞い散る初雪に見とれていた。時折、僅かな明かりを反射して、雪のかけらが美しく光った。
一時間後、私は、居間のソファの上、長い脚を擡げて眠る育美の身体を眺めていた。パジャマの裾が少しめくれあがり、妹の白い腹が露になっている。投げ出された細い脚は、千歳飴のように真っ直ぐ伸びている。その脚に、触れてみたいと、私はいつも思う。
外から戻ると、育美はすぐに眠ってしまった。春に受験を控え、疲れを溜めていたのだろう。力の抜けた唇の隙間から微かに寝息が聞こえてきた。私が毛布をかけてやると、育美は毛布の柔らかな感触に少し目を開け、小さな白い歯を覗かせて、うん、と頷いた。
私は育美が好きだった。だが、私はその思いをずっと抑圧して生きてきた。そうすることで、兄としての自覚や、心の均衡を保ってきた。血の繋がりや、兄妹という軛からは、どう足掻いたところで逃れることはできない。そんなことは充分解っている。しかし、それでも私は、育美が、妹が好きだった。抑制の効かなくなった欲動は、時折、思わぬところで噴出した。
私はふと思い付いたのだった。妹の部屋に入ってみようと。育美は、稚く幼い顔を浮かべて、泥のようにぐっすり寝入っている。今ならきっとばれやしない。鬱勃たる思いが沸き上がってくるのを抑えられず、私は忍び足で二階に上がった。育美のことを、たった一人の妹である育美のことを、もっとよく知りたいという思いでいっぱいだった。私は緊張しながら、妹の部屋の扉を開けた。緊張しながら中へ入り、スイッチに手を伸ばし電気を点けた。
久しぶりに見た妹の部屋はあまり装飾が無く、極めて質素な雰囲気を醸していた。しかし、狭い部屋に充満し漂う匂いは、紛れも無く女の放つ匂いだった。机の上には夥しい数の問題集や参考書が重なっている。私は、クローゼットが開け放したままになっていることに気付いた。近くの床に、ハンガーひとつ落ちている。さっきコートを取ってくる時、落としたのだろう。私はハンガーを拾い上げ、クローゼットの扉を閉めた。ああ、いけない。うっかりしていた。今、私は妹の部屋に潜入しているのだ。再びクローゼットを開け、ハンガーも床に置き戻した。
部屋を眺め回した後、私は妹のベッドに入った。妹の枕に顔を埋めてみた。田山花袋のように。シャンプーや化粧水の香料の匂いに入り混じって、妹の汗や皮脂の匂いがするような気がした。これが育美の匂いか…。私は内側から興奮してくるのを感じた。しかし、私の体臭が移ってしまっては困るので、すぐに顔を離し、ベッドからも離れた。